里山歩き


当麻路を歩く


2005.09.30歩く

コ ー ス  徒歩1時間50分
近鉄当麻寺駅(5分)相撲館(10分)當麻寺(5分)中将姫墓(15分)石光寺(15分)傘堂(50分)専称寺(10分)二上山駅

当麻は神話と伝説の里である。ここには古刹当麻寺があり、国宝「当麻曼荼羅」を一夜にして織り上げたという中将姫の伝説がある。相撲の始祖といわれる當麻蹶速と野見宿禰の力比べの話は日本書紀に出てくる。悲運の皇子、大津皇子は西方ラクダの瘤のように見える二上山に眠る。さらに當麻寺、石光寺は牡丹で有名だ。今回歩いたほかにも見るべき史跡は多い。地図を片手に好みに応じて訪ね歩くといいだろう。特に花の季節が良い。

   

近鉄当麻寺駅
スタートとなる当麻寺駅へは大阪阿部野橋から準急で38分。京都からは特急で橿原神宮前で普通に乗り換え1時間15分。
駅前から真直ぐ西へ延びる道路を行く。不要な荷物をコインロッカーに預け身軽になって歩いた。
車道はさほど広くないので、車の往来には十分注意したい。

當麻町相撲館
駅から5分ほどのところに當麻町相撲館「けはや座」があった。(写真右、左手前は休憩所)
垂仁天皇期に、天皇の御前で當麻蹶速と野見宿禰が力比べをした。これが相撲の発祥とされている。結果當麻蹶速が負けるのだが、當麻町では蹶速の出身地の当地に記念館を建てた。
中には本場所と同じ大きさの土俵があり、江戸時代からの番付表や化粧回し、図書資料を展示している。


當麻蹶速塚
休憩所の西隣にあり、五輪塔と蹶速の姿を彫った碑が建っている。

道は真直ぐ当麻寺に突き当たるが、両側の門前町には立派な建物の旧家が連なる。   

その家々を取り囲む塀の上には福を呼び込むおまじないだろうか、七福神の像が据え付けられていた。
他ではあまり見かけないが、このあたりの風習か、それとも今まで気付かなかっただけなのか。

當麻寺
駅から西へ真直ぐ突き当たったところがこの東門(仁王門)。現在の正門。ここから入って正面に本堂。その手前左右に金堂・講堂があり、左奥に東西の三重塔がある。
推古天皇の20年(612年)用明天皇の第3皇子麻呂子の創建と伝えているが、当地の豪族当麻氏の氏寺で、奈良時代の創建と考えられている。
高野山真言宗と浄土宗の2宗を奉じる珍しいお寺だ。   

本堂
綴織の阿弥陀浄土変相図「当麻曼荼羅」(国宝)を本尊とする曼荼羅堂(国宝)。これは中将姫が蓮糸を染めて一夜で織り上げたという伝説を持つものだ。鎌倉時代からこの曼荼羅信仰が盛んとなり、このため曼荼羅堂が本堂となった。
治承4年(1180年)平家の南都焼き討ちにあい、この曼荼羅堂と東西の三重塔を残し他は焼失した。その後再建され現在の姿になった。  

當麻寺三重塔
前で説明した伽藍配置だとなんだか複雑な配置になっているようだが、これは東向きになっている曼荼羅堂を本堂とし、東に仁王門を建て、現在はそこからお参りするためにそうなったもの。
もともと南門、金堂、講堂が南北一直線上にあり、南門を入った左右に東西の三重塔がある。これは東大寺の伽藍配置と同じだ。ただし今は南門は無い。
ここは牡丹で有名なお寺。5月の連休の頃には花見客で賑わう。   

中将姫の墓
当麻寺の北門を出て5分ほどのところに地蔵堂がある。そこを左に入ったところに墓地があり、中将姫の墓はその入り口のところにあった。  
二上山
コースは左手に二上山を見ながら進む。
その二上山雄岳の頂上に悲劇の皇子、大津皇子の墓がある。大津皇子は、天武天皇の死後、天武天皇との間に生まれた草壁皇子を次の天皇にしようとする持統天皇により根拠の無い謀反の罪を着せられて処刑された。
大津皇子は持統天皇の姉の大田皇女と天武天皇の間に出来た皇子。草壁皇子とは異母兄弟になる。また、大田皇女と持統天皇(うのの皇女)は天武天皇(大海人皇子)の兄の天智天皇(中大兄皇子)の皇女。大津皇子辞世の歌  
石光寺
北へ道なりに進み、突き当りで右へ折れるところの左手が石光寺。
中将姫が蓮の茎から撚りだした糸をここの井戸で洗ったところ5色に染まった。その糸で織り上げたのが「當麻曼荼羅」という。そこでこの井戸を染めの井、染めた糸を掛けた桜の木を糸掛け桜といい、寺の名を別名染寺と呼んでいる。またこの辺りの地名を染野という。
当寺は牡丹の名所としても知られており、またわが国最古の白鳳石仏もあるというが、残念ながら1月と5月の牡丹の時期しか開扉せず、このときは拝観できなかった。  

高雄寺
石光寺を出て150mほど戻り、右へさらに180mほど行ったところで左の道を登っていく。
役小角の開創と伝える古いお寺だが、焼失して今は礎石が残るのみ。境内に収蔵庫が建ち、貞観時代の聖観音立像(重文)と藤原時代の薬師如来坐像(重文)が安置されている。  

傘堂
高雄寺を出て右へ舗装された道を登っていく。上りついたところにユニークな建物があった。四阿屋風の建物だが、柱が真ん中に1本あるだけ。その形が傘に似ているところから傘堂と呼ばれるのだろう。
延宝2年(1674年)郡山藩主本多政勝の慰霊のために建てられたといい、左甚五郎の作と伝える。
柱の上部に扉があって阿弥陀仏が安置されていたが、今は石光寺に移されている。  

傘堂から二上山の方へ行く道と別れ、大池との間の道を下っていく。広い道に出て道が交差するところに立派な祠があり、案内標識がしっかり行き先を示してくれる。しばらくはのんびりと田舎道を行く。途中道の駅・ふたかみパークを右に見て、やがて国道165号の下を潜る。この辺りから駅まで迷路のようになってくるので、標識をしっかり見ていこう。  

専称寺
畑の部落に入ると民家の建ち並ぶ中に専称寺があった。浄土宗のお寺で、木造十一面観音菩薩立像(平安中期)と木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代)を安置する。境内のしだれ桜の木は素晴らしく、花の時期は見事だろう。  

案内標識
一部近畿自然歩道を歩くが、その間は要所要所に案内標識が完備している。この標識は路面上に埋め込まれており返って見落としてしまいそう。終着点の二上山駅は100m足らず。  

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