やまぶき
ヤマブキ 山振 山吹 夜麻夫伎 夜摩扶枳 夜万夫吉 也麻夫伎
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく 2ー158 高市皇子 バラ科 ヤマブキ属 日本全国に分布し、山野の谷川沿いや樹下の湿ったところなどに生えている。鮮やかな黄色の5弁の花を沢山つけているので遠くからでもすぐそれと分かる。山から下りてきて谷川沿いの道になるころ、まるでそこだけ陽が差し込んだように明るく輝いて見えるところがあるが、よく見るとヤマブキが群れ咲いていたりする。 野山に自生するが、公園や庭先などにも植えられている。茎や枝はしなやかで、風に揺れる様から、古くは山振と言う字が充てられていた。山吹の花弁は5枚。八重咲きのものもあるが、太田道灌の故事でも知られるようにこちらは実を付けない。 158の歌は、題詞にあるように十市皇女が亡くなったときに高市皇子が詠んだ挽歌3首のうちの1首。 歌意は、山吹が美しく咲いている山の清水を汲みに行きたいが、道が分からない。 ここは、山吹の黄色と清水の泉から黄泉の国を連想させる。亡くなった十市を尋ねて行きたいが、その道がわからないと言うことか。ちょうどイザナミを連れ戻そうと黄泉の国へ行くイザナギのことを思い浮かばせた。 十市皇女は大海人皇子と額田王の皇女。天智天皇の皇子大友皇子と結婚するが、壬申の乱で大友皇子は大海人軍に敗れる。そのとき大海人軍の指揮を執ったのが高市皇子。後に十市と高市は結ばれたとも言われている。 天武紀によると、天武天皇7年夏4月1日、十市は宮中で急病になって薨じる、とある。十市皇女急死の原因は、病死の他、自殺、他殺などいろいろ言われている。十市30歳のころ、高市25歳のときのことという。 |