街歩き


井の頭公園から小金井公園へ


2008.1.27歩く

コ ー ス  徒歩3時間
JR中央線吉祥寺駅(5分)井の頭公園・七井橋(5分)弁財天(3分)御茶の水(1分)野口雨情詩碑(10分)井の頭自然文化園(15分)山本有三記念館(10分)JR三鷹駅(30分)本村公園(10分)国木田独歩文学碑(30分)小金井公園(15分)江戸東京たてもの園(15分)浴恩館(30分)JR東小金井駅

江戸時代江戸城と江戸市民の水を確保するために作られた神田上水と玉川上水。神田上水の水源地井の頭公園から玉川上水を小金井公園まで、武蔵野の面影を訪ねて歩いた。両公園や途中の見どころも多く、1日で歩くのは忙しい。三鷹駅で区切り2回に分けてゆっくりと楽しみたい。

    

JR中央線・京王電鉄吉祥寺駅
吉祥寺駅へは、JR快速電車で東京駅から30分。新宿駅から15分。渋谷駅からは京王電鉄井の頭線で24分。

南口を井の頭通りに出て信号を渡り、丸井の横を南下すると正面が井の頭公園。

井の頭公園
池を中心にして周囲が公園となっている。その広さは36万4000u。池の7箇所から豊富な湧水があったことから古くは「七井ノ池」といわれていた。この水が神田上水として江戸城に引かれ、江戸城や城下を潤してきた。今の神田川で、隅田川に注ぐ。
井の頭の名前は、徳川3代将軍家光が遊猟のときにここの井は一番という意味で、池辺の木に「井之頭」と刻んだことによるといわれている。


七井橋
公園に入って正面、池のほぼ中央に架かる橋。七井ノ池に架かる橋ということで七井橋と名付けられた。
橋の上からは公園全体と水面に遊ぶ水鳥の姿を観察することが出来る。

野口雨情詩碑
  橋の手前を池に沿って右へ行くと野口雨情の詩碑がある。碑面には「鳴いて さわいで 日の暮れごろは 葦に 行々子 はなりやせぬ」の詩が彫られている。
雨情は大正13年、武蔵野の自然を愛し吉祥寺に移り住み、「童心居」で詩作をつづけ、朝夕この辺りを散策したという。その童心居が自然文化園に移築されている。

お茶の水
野口雨情詩碑からさらに進むと右手に湧き水がある。横に建てられていた解説板によると、「その昔、当地方へ狩に来た徳川家康がこの湧水の良質を愛してよく茶をたてました。以来この水はお茶の水と呼ばれています。東京都」とあった。今も滾々ときれいな水が湧き出している。が、この水周辺の開発により地下水が低下し一時枯れたので、現在は地下150mからポンプで汲み上げているとのこと。

井の頭弁財天
池の西端に朱塗りの弁天堂がある。源頼朝が建久8年(1197年)に建立したと伝える。また元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉の北条攻めのときここで戦勝祈願をしたという。
井の頭池の豊富な水を求めて昔から人が集まったのであろう、周辺には縄文中期の住居跡や多数の土器、石器類が発掘されている。この辺り一帯「井の頭池遺跡群」として東京都の史跡に指定されている。

自然文化園
弁天堂を後にして家光が遊猟ののために館を建てたことに因んで名付けられた御殿山を登り、を歩道橋で渡ると自然文化園。ここには戦後初めて来日したゾウのはな子のいる動物園や熱帯鳥温室・資料館・遊園地などがある。なお、水生物館のある分園が弁天堂の隣にある。

彫刻館
文化園の一郭に長崎の平和記念像を製作した北村西望の作品を展示した彫刻館がある。アトリエ館では記念像の製作過程と道具なども展示紹介している。

文化園を出て西へ行くと玉川上水に行き当たる。吉祥寺通りを挟んで反対側の井の頭公園の広い林は武蔵野の面影が残っている。

山本有三記念館
玉川上水に架かる万助橋を渡り、上流に向かって左側(右岸)の道を行くと程なく左に洋風建築が見えてくる。山本有三が昭和11年4月から終戦後進駐軍に接収される昭和21年11月まで住んでいた私邸で、有三はここで小説「路傍の石」や戯曲「米百俵」を書いた。
接収解除後は国立国語研究所に提供され、さらに東京都を経て今は三鷹市山本有三記念館として開放されていて、有三に関する資料や作品を展示するほか講演会や朗読会などが催されている。
玉川上水
江戸の水不足を解消するために、徳川4代将軍家綱の命により玉川庄右衛門・清右衛門兄弟がわずか7ヶ月の工事で1654年に完成したもの。多摩川の羽村から四谷大木戸まで全長43kmに及ぶ。
新宿淀橋浄水場の廃止に伴い上水の役目も終え、一時は枯れたが、市民の熱望により再び流れがよみがえった。
昭和23年、太宰治が愛人と入水自殺をしたのはこの辺り。今では想像も出来ないが、当時は滔々と流れていたのだろう。

三鷹駅北口
玉川上水はやがて三鷹駅で中央線をくぐる。時間によってはここまでの前半部で打ち切っても良い。
北口を出て右手交番の先に国木田独歩の詩碑がある。武者小路実篤の書で「山林に 自由 存す」と彫られており、独歩の胸像が埋め込まれている。
玉川上水は北口を出て左へ。JR中央線の北側を行く。
国木田独歩文学碑
三鷹駅と小金井公園の中間辺り、右手の境浄水場入口の前に桜橋がある。橋を渡った北詰に国木田独歩の文学碑がある。この辺り、小説「武蔵野」の舞台になったところで、四角い石碑の面には第6章の冒頭の一節が刻まれている。
「今より3年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁行くと桜橋という小さな橋がある、」
独歩はそこの掛茶屋の婆さんに、桜は春咲くこと知らねえだね、と笑われたと続けている。

桜通り
ここから小金井公園まで更に桜並木が続く。
独歩は婆さんに夏の郊外の散歩の面白さを解るように話したが、東京の人は呑気だという一語で消されてしまったらしい。
ここの桜は8代将軍吉宗の頃吉野や常陸の桜川から種苗を取り寄せて植えたもので江戸の頃より桜の名所として知られている。この見事な桜並木を見ていると、冬ではなく、勿論夏でなく、春の花の時期にもう一度訪れたいと思った。

都立小金井公園
玉川上水の左岸をさらに上流に向かい歩道橋のあるところを右折した先に公園がある。
77haの広さは都内随一。桜の名所として知られているが、他にもウメやツツジを初め四季折々の花木が楽しめる。広い園内には広々とした芝生広場、子供の広場、ソリゲレンデ、テニスコート他の施設があり、1年を通して楽しめる場となっている。

江戸東京たてもの園
小金井公園の一角に平成5年江戸東京博物館の別館として開設されたもの。
江戸期から昭和初期の都内にあった歴史的・文化的建築物を移築・復元して展示している。併せて旧石器時代から江戸時代までの考古資料や歴史資料を展示する。
入口正面のたてものは、昭和15年の紀元2600年記念式典のために皇居前広場に仮設された式殿・旧光華殿を移築改修したもので、ビジターセンターとして使用されており、ミュージアムショップや図書コーナーがある。

園内は大きく3つのゾーンに分かれており、西ゾーンには和・洋様々な形式の建物が復元展示されている。センターゾーンは旧光華殿のほか高橋是清邸、3代将軍徳川家光の側室お振りの方を供養するために建てられた旧自証院霊屋などが移築されている。そして東ゾーンでは昔の商家、銭湯、居酒屋などがあり、長屋と路地の景観も復元されており、下町の風情が楽しめる。

たてもの園から少し戻り、小金井公園入口前の歩道橋で玉川上水を渡り住宅街の中を南に進むと右手に浴恩館がある。

浴恩館
建物は昭和3年に京都御所で行われた御大典で使用されたもので、日本青年館が譲り受け翌年に移築したもの。昭和6年、当時軍国主義的風潮が高まる中で、青年団の自治を守ろうと青年団指導者養成所を開設。下村湖人が専任所長となって青年達と語り合ったが、軍国主義の台頭に抗しきれず昭和19年に閉鎖された。
今は小金井市の文化財センターとして、旧石器時代から現在までの考古資料や古文書・民具などの文化財を展示している。

JR東小金井駅
浴恩館公園を南に通り抜け、住宅街を道なりに南に行くと小金井北高のところで北大通りに出る。これを左へ行き梶野通りを右へ行くと東小金井駅。


ホーム トップ