街歩き


蔵の街栃木を歩く


2006.02.25歩く

コ ー ス  徒歩1時間40分
東武・JR栃木駅(25分)塚田歴史伝説館(5分)横山郷土館(3分)県庁掘(10分)栃木病院(7分)岡田記念館(15分)山本有三ふるさと記念館(1分)近龍寺(2分)あだち好古館・蔵の街観光館(1分)山車会館・蔵の街美術館(25分)栃木城跡(16分)栃木駅

栃木は歴史のある街である。古くは奈良時代国府が置かれた下野国の中心地であった。下って江戸時代には日光例幣使街道の宿場町として、また巴波川の舟運を利用した商業の町として栄えた。しかし、幕末には太平山に立て籠もった天狗党により町の大半が焼かれた。その後火事に強い蔵造りの建物が次々建てられ今では400余りもあるという。
この蔵が今ではいろんな記念館、資料館、美術館、そして見世蔵として蘇っている。市ではこれらの蔵を中心に街並み造りに力を入れ美しい蔵の街となっている。
そんな蔵の街を歩いた。徒歩時間は1時間半ほど。毎日の散歩時間とほぼ同じだが、見るべきものが多く、丸々1日でもずいぶん見残した。

   

東武・JR栃木駅
スタートとなる栃木駅へは、JRでは上野駅から小山乗換えで1時間40分。東武では浅草駅から 快速で1時間20分。北千住駅からは1時間10分。

駅を北へ出て、駅前ロータリーから正面左側の信号を渡り北へ歩を進める。

日光例幣使街道
中仙道の倉賀野から分かれ、ここ栃木を経て日光街道の今市にいたる脇往還。京都の皇室が、毎年4月御幣を勅使に託して日光東照宮に派遣していたが、その勅使の通る道を例幣使街道といった。
東照大権現(徳川家康)が日光に改葬されてから派遣されるようになったが、正保4年(1647年)からは毎年の行事となった。
一行は50人ほどで、1ヶ月で往復した。勅使に選ばれるのは参議級だが、一度選ばれると、幕府からの支度金や道中の余禄などで数千両の収入があり、数年は楽に暮らせたという。


巴波川
街の中心を流れる川。富士見橋から川に沿って遊歩道を行く。この川を利用した舟運で江戸との交流が盛んとなり、栃木は商人の街として栄えた。川沿いに黒塀に囲まれた蔵が並び、川面には鯉が泳ぐ。観光栃木を代表する景観となっている。

塚田歴史伝説館
黒塀の中が塚田歴史伝説館。塀の終わったところで右へ入ると入り口。
塚田家は江戸時代後期の弘化年間(1844〜1847年)より木材回漕問屋を営んでいた。当時はここで筏を組んで、巴波川から利根川を経て江戸深川まで3日3晩かかったという。   

語り部ロボット
館内には代々の蒐集品や山車を展示するほか、この地に伝わる人柱伝説を構成した「うずま川秘話」の蔵芝居を人体型ロボットで上演する。
三味線語り部婆さんロボットの、目・口・手の動きが音声とぴったり合っていて感心させられた。

福寿草
奥の庭園の片隅では福寿草がひっそりと咲いていて、春の息吹を感じさせた。   

横山郷土館
塚田歴史伝説館から巴波川に沿って5分ほどで横山郷土館がある。
横山家は栃木有数の麻苧(あさお)問屋であったが、明治32年から栃木共立銀行も営むようになった。店舗の北半分(向かって右)が麻苧問屋、南半分が銀行で、当時の帳場や銀行の事務所が再現されている。  

県庁掘
横山郷土館を出て先の常盤橋を渡らずに左へ行くと間もなく栃木市役所。
明治4年(1871年)の廃藩置県で下野国に栃木県と宇都宮県が置かれたが、明治6年両県は合併、この地に県庁が置かれた。県庁の周囲には幅6mの堀を巡らし、巴波川との間に運河を掘って船による荷物の運搬を行った。このような例は他では見られない珍しいもの。明治17年に県庁は宇都宮に移ったが、堀の名前は県庁掘りとして今も残り、県庁所在地であったことの証となっている。  

栃木病院
県庁堀に沿って北へ行き、左の第2小学校への交差点を右に行く。再び巴波川を開運橋の次の大川橋で渡り、北東方向の細い道を入って行く。広い通りに出る手前に瀟洒な洋風建築がある。 大正2年に建てられた現役の栃木病院。屋根に採光窓、中央正面にベランダを設け、左右の突き出し部分の屋根は左が切妻、右が入母屋と変化のある造りになったいる。栃木の代表的な大正洋風建築。  

岡田記念館
広い通りを渡り、例幣使街道を北に進む。
岡田家は500年続く旧家。元は武士で江戸時代に帰農し、代々名主を務め、畠山氏の知行地になったときに屋敷内に陣屋を設け、代官職も勤めたという。館内には数々の武具や什器、板谷波山、山岡鉄斎などの作品を展示する。  

敷地内道路に面したところにある明治時代創業の理髪店。今もそのままの状態で保存している。貸店舗として10年ほど前まで営業していたとのこと。因みに料金は、明治4年25銭。同18年4銭。同42年10銭。大正3年20銭。昭和2年50銭。昭和20年3円50銭。昭和30年140円。昭和62年2900円だった由。  

万町交番
岡田記念館の先を右に折れ、大通りに出る。ここを駅に向かって南下すると点々と見世蔵が続く。交番も蔵造り。なんだか微笑ましい。  

山本有三ふるさと記念館
交番側の歩道を15分ほど進むと理髪店がある。明治20年7月20日、山本有三はここで生まれた。それを記念して平成9年に隣に記念館が建てられた。館内では山本有三の生い立ちや業績を紹介し、「路傍の石」の直筆原稿や数々の作品を晩年に使った机や愛用品と共に展示する。作品には、「路傍の石」「真実一路」「女の一生」などの小説、「坂崎出羽の守」「生命の冠」「米百俵」などの戯曲がある。  

近龍寺
山本有三ふるさと記念館の手前の通りを100mほど東へ入ると近龍寺があり、山本有三の墓がある。  

あだち好古館
元の道を戻り大通りに出ると、ふるさと記念館の先にあだち好古館、蔵の街観光館と並んでいる。
江戸時代の呉服商安達幸七のコレクション。 歌川広重の「東海道五十三次」を初め当代一流の浮世絵や江戸歌舞伎俳優の錦絵などを展示する。  

とちぎ蔵の街観光館
明治期の典型的な見世蔵。通りに面したところは観光協会の案内所になっているので情報を仕入れていこう。奥に長く、1階は飲食店。2階はお土産横丁になっている。  

とちぎ山車会館
観光館の前の大通りを渡ったところにある。「とちぎ秋祭り」の歴史や祭りの様子を実際に使う品々や写真で紹介している。また全国で行われている「山車祭り」もビデオで見られる。  

山車
山車展示室では3台の山車を入れ替えながら常時展示すると共に、音と映像で祭りの様子を再現している。
「とちぎ秋祭り」は5年に1度行われるが、平成18年がその5年目で、11月17日(金)から19日(日)の3日間に亘って行われる。  

とちぎ蔵の街美術館
山車会館の隣にある。
200年ほど前の蔵3棟を改装して美術館としたもで平成15年に開館。近・現代の陶芸作家の作品と栃木市ゆかりの美術工芸作家の作品を収蔵し、企画展や展覧会を開催している。この日は栃木市出身の画家橋本邦助(1884年〜1953年)展が開かれていた。  

再び大通りに出て南へ進む。途中所々に見世蔵が並ぶ。400mほどで左にNTT栃木があり、その先を東に入ると定願寺。ここを左へ行くと広い通りに出るのでその道を右(東)へ。途中裁判所、法務局などをみて1km弱で信号のある城内十字路。これを右へ行くが、このあたり道幅狭く、往来の車には十分注意したい。  

栃木城跡
前方に東武日光線が見えてきたところで手前に信号機があるが、その一つ手前の細い道を右に入るとすぐに掘割がある。天正19年(1591年)に皆川山城守広照が築いた平城の跡だが、慶長14年(1609年)広照が家康の怒りに触れたため城は取り壊され、短命の城となった。  

山本有三文学碑
城跡から先ほどの信号機のあった通りに出て右(西)へ向かうと20分ほどで今朝スタートした栃木駅に戻り着く。駅前に平成17年9月に建てられたばかりの碑があった。含蓄のある言葉だ。  

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