里山歩き


日光史跡探勝路を滝尾神社へ


2012.9.3歩く

コ ー ス  徒歩約1時間40分
東武日光駅(15分)日光郷土センター(12分)神橋(2分)本宮神社・四本竜寺三重塔(5分)小玉堂(5分)東照宮美術館(25分)滝尾神社(10分)行者堂(10分)大猷院(5分)二荒山神社(5分)東照宮五重塔(6分)西参道(バス10分)東武日光駅

 日光開山の祖、勝道上人が四本竜寺を建立したのが天平神護2年(766)。その後延暦3年(784)本宮神社を創建。さらに、弘法大師が滝尾神社を創建したのが弘仁11年(820)。その本宮神社から滝尾神社へ、日光開山の歴史を辿るのがこのコース。
 日光二社一寺が年間を通じて賑わうのに比し、鬱蒼と茂る杉木立の下の石畳道を歩く人は少ない。静かな探勝路を往時を偲びながら歩いてみた。  



東武日光駅
 日光へは、JRだと上野から東北新幹線宇都宮乗換で日光まで1時間30分。または、常磐線で北千住へ。ここで東武線に乗り換えて東武日光まで有料特急で2時間(快速だと2時間20分)。
 東武鉄道だと浅草から東武日光まで有料特急で1時間50分。快速だと2時間12分。北千住からは快速で2時間で日光の玄関口に着く。

日光郷土センター
 JR日光駅から東武日光駅を経由してバスがあるが、大した距離でもないので歩いていきたい。
 途中左手に日光郷土センターがあるので、案内資料や情報を入手していこう。    

 日光市は東照宮の門前町として発展したところ。
 二社一寺への参道でもある国道120号線沿いには、日光名産の湯波をはじめ、日光彫、羊羹や骨董品などを並べる店が軒を連ねているので、ウィンドウショッピングをしながら行くのも楽しい。

 戊辰戦争の折、日光の社寺を戦禍から守った功により建てられたという板垣退助の銅像を左に見ると、すぐその先が大谷川に架かる神橋。

神橋
 大谷川に架かる朱塗りの橋は、日光二社一寺の入口に当たり、日光のシンボルともなっている。
 日光を開いた勝道上人が男体山を目指したとき、大谷川の急流に行く手を阻まれた。そのとき深沙大王(蛇王権現)が現われ、赤と青の2匹の蛇を投げかけその上に山菅を敷いて橋とし、上人を無事渡したという。このことから神橋は「山菅の蛇橋」とも言われている。
 神橋は、江戸時代は東照宮に社参する将軍と修験者のみに通行が許されていたもので、一般庶民は少し下流にある日光橋を渡っていた。今は拝観料を払えば、橋の上を往復することが出来る。

探勝路入口
 現在の日光橋の上から神橋を眺めながら大谷川を渡ると正面に探勝路入口がある。ここを入って右手の石段を登って行くと本宮神社がある。  

本宮神社
 このあたりが日光でも最も早く開かれたところで、勝道上人が日光に入って初めて日光の神を祀ったところと伝えられている。二荒山神社の別宮。延暦3年(784)の創建で、祭神は味耜高彦根命。

四本竜寺
 本宮神社のすぐ先にあるのが四本竜寺(今の輪王寺)。天平神護2年(766)勝道上人が初めて草庵を結んだ場所とされており、その後四本竜寺、輪王寺へと発展してきた。
 ここは下野三十三観音霊場の第3番札所で、千手観音を祀る観音堂と、鎌倉幕府三代将軍源実朝の供養のために建てられたという三重塔がある。
 三重塔は鎌倉時代の仁治2年(1241)に建立されたが、江戸時代貞享元年(1684)に焼失。その後正徳3年(1713)に再建された 。
 平成15年から保存のための半解体修理が行われ、平成19年3月に落慶し 現在の姿となった。    

小玉堂
 三重塔から一本西の通り、探勝路に戻り北へ進む。輪王寺への道を左に見送り、次の車道を左に折れるとすぐ右手の広場のような苔むした庭にポツンとお堂と鳥居が建っている。
 道路脇には案内板があり、それによると、弘仁11年(820)弘法大師(空海)が滝尾で修行しているとき、大小2つの白玉が浮かび出たという。空海はそのうちの小さい方の玉を虚空蔵菩薩の本尊として堂を建てて祀ったのがこの小玉堂と伝えている。
 因みに大きい方の玉は妙見大菩薩の本尊として中禅寺に妙見堂を建てて祀ったが、明治時代に天災にあって失ったという。

 探勝路を西へ進み、右手にある駐車場の先で右に折れると、突き当たりに東照宮美術館がある。この手前を右から左へと美術館を回り込むように行く。このあたりから石畳道を行くようになり、杉木立も深まってくる。

観音堂(産の宮)
 しばらく進むと左に石の鳥居と楊柳観音を祀る赤い堂があり、堂前に沢山の将棋の駒が並べられている。
 ここは別名産の宮といい、安産に霊験があるという。見れば将棋の駒は香車ばかり。香車は真直ぐに進むので安産に良いと言い、妊婦がこの駒を借りてきて神棚に祀っておくと、無事出産できるという信仰がある。また無事出産すると、同じ駒を添えてお返しするので、駒がどんどん増えてきたという。  

開山堂
 観音堂の隣にあるのが開山堂。弘仁8年(817)、日光開山の勝道上人が83歳でなくなると、その遺言により弟子たちがこの地で荼毘に付したという。開山堂は上人供養の霊廟として建てられたもので、本尊は木造地蔵菩薩坐像。運慶の作と伝えられている。他に円仁作と伝える勝道上人とその十大弟子の像も安置されている。
 堂の裏手には勝道上人の墓といわれる五輪塔がある。  

大小べんきんぜいの碑
 石畳道をなおも進むが、濡れると滑りやすいので気をつけたい。右側に並行して砂防工事用の道があるので、場合によっては白糸の滝手前までこれを行くのもよい。
 左手行者堂から来る道と合流するところに苔生した石碑が建つ。ここからは滝尾神社の神域で、大小便などの不浄を禁じた標識。誰にでも読めるようにと、かな文字で刻まれているところが面白い。

運試しの鳥居
 さらに進むと滝尾神社の楼門手前に御影石で造られた鳥居がある。元禄9年(1696)に、三代将軍家光の家臣梶定良が奉納した明神鳥居。
 この鳥居の上部中央にある額束の真ん中に丸い穴が空けられている。この穴に小石を3個投げてうまく通ると願いが叶えられるという。試してみたが、運がないのか届きもしなかった。

滝尾神社
 日光探勝路の一番奥にある。弘仁11年(820)に弘法大師が創建した神社で、田心姫命(女峰山の女神)を祭神とする。本コースの入口にあった本宮神社、二荒山神社(新宮)とともに日光三社の一つである。
 社殿は本殿、拝殿、平唐門からなり、正保3年(1646)に建立されたもの。

子種石
 境内には、祈願すると子どもが授かるという子種石、弘法大師が滝尾神社とともに建てた滝尾稲荷神社、「酒の泉」と呼ばれる霊水、ご神木の三本杉などが点在している。

白糸の滝
 神社の右に天狗沢が流れる。そこに懸かる高さ約10mの滝を白糸の滝と言い、弘法大師修行の場と伝えている。
 文明18年(1486)京都聖護院の道興准后が訪れ、その時の紀行文「廻国雑記」に次の歌が詠まれているという。
 世々を経て 結ぶ契りの 末なれや
      この滝尾の たきの白糸  

 滝尾神社から、来た道を大小べんきんぜいの碑まで戻り、分岐を右に入る。

行者堂
 緩い上り坂を終え、下りにかかると右手に行者堂がある。
 奈良時代の修験道の開祖役小角を祀るお堂で、1枚歯の高下駄を履いた役小角と、従者の前鬼、後鬼の木像が安置されている。
 ここは禅頂行者道の起点となっていたところで、今でも女峰山の登山道はそれに従っている。

二荒山神社
 行者堂から石畳道をなおも下って、降り立ったところが徳川家光廟大猷院。ここからは二荒山神社、東照宮、輪王寺と続くいわゆる二社一寺の境内。一帯が世界遺産に登録されており、見るべきものが多い。とても1日で回れるものではなく、別の機会にゆっくり見て廻りたい。

東照宮五重塔
 最後は東照宮の五重塔。塔は慶安3年(1650)に酒井忠勝によって建立されたが文化12年(1815)に落雷により焼失したため文政元年(1818)酒井忠進が再建し寄進したもの 。
 心柱は四層からの吊り下げ方式で、礎石からは少し浮いている。これは木材の伸縮などで生じるひずみに対応する構造で、併せて揺れに対する復元作用を果たしていると言われる。東京スカイツリーの建設に当たってはその原理を応用したという。
 スカイツリーのオープンに合わせて25年3月31日まで塔の内陣が公開されており、黄金張りの心柱を見ることができた。
 ここからは西参道に出てバスで日光駅に戻る。




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