里山歩き
室生寺から大野寺へ 東海自然歩道を歩く
2005.10.01歩く
女人高野として親しまれている五重塔の美しい室生寺を訪れた。ここへの参詣は西の大門に当たる大野寺から行くのが良いのだろうが、例によって数少ないバスの時刻を気にしなくても良いよう先にバスで室生寺へ向かった。有名な石楠花のシーズンではなく、紅葉にも早かったためか、行楽シーズンの土曜日と言うのにバスの乗客は3人。途中であったハイカーも2人。コースは東海自然歩道でよく整備され歩きよい。ただし、門森峠越えの石畳道は滑りやすいので注意が必要。 |
近鉄室生口大野駅 バスの本数が少ないので、帰りにバスの時刻を気にしなくて良いよう、先ずここから上手く接続していたバスで室生寺まで行った。 |
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室生寺 バスを降り、旅館・土産物店街を通り、室生川に架かる赤い橋を渡ったところに「女人高野室生寺」と彫られた大きな石柱があった。 室生寺は「女人高野」として親しまれている。これは同じ真言宗の高野山が厳しく女人禁制をしてきたのに対し、室生寺は古くから女人の済度も図ってきたことによるもので、今でも女性の参詣者が圧倒的に多いという。 右手にある大きな山門から境内に入る。 |
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金堂 平安時代初期の建立。国宝。堂内には本尊、釈迦如来立像(平安時代初期・国宝)のほか、多くの国宝・重文の仏像が安置されている。 室生寺縁起によると、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願を興福寺の僧によって行われ、平癒したことから、勅命により創建されたとある。 |
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灌頂堂 室生寺の本堂で、真言密教にとって最も大切な儀式である灌頂を行う堂である。鎌倉時代の建立で、国宝。 |
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室生寺は初夏の頃なら石楠花が、そしてもう少しすると紅葉が見事で、その時期の週末は境内は善男善女で大混雑するが、今は唯一彼岸花の紅が彩りを添えているだけだった。 |
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五重塔 奈良(天平)時代の建立。国宝。高さ16.1mと、屋外にある五重塔では日本で最小のもの。下から見上げるとその小ささを感じないほど堂々として且つ美しい。 平安時代の建立という説もあるが、建築様式は奈良時代のもの。勅命した桓武天皇は都を平城京から平安京へ遷した天皇であるので、いずれにしても奈良末期から平安初期にかけて堂塔が整えられたものに違いない。 都の諸寺が度々の兵火などで焼失、再建を繰り返しているのに対し、当寺がその災難を逃れ、創建のままの堂塔や仏像を残しているのは、都を遠く離れた山中にあったからだといわれている。 |
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奥の院への石段 五重塔から奥へ原生林の中に石段が続く。数えてこなかったが、山門から奥の院まで700段あるという。上に行くほど急になりさすがに最後は少し疲れた。下り始めは急なので、転ばないよう気をつけなければ。 |
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位牌堂 最後の上りの左側に舞台造りの位牌堂。この横を登りきると奥の院。位牌堂に向き合って弘法大師42歳の像を安置した御影堂(鎌倉時代、重文)がある。 |
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羊歯 このあたり一帯は、イヨクジャク、イワヤシダ、オオバハチジョウシダなど暖地性シダの群生地で、これらはわが国分布の北限に当たるところから、昭和3年に天然記念物に指定された。 |
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東海自然歩道入り口 室生川に架かる赤い橋を渡った先の道路の角に立派ない石標がある。ここから室生の里の道を行く。過っての伊勢街道とかで、歩きよい道だ。道は入り組んでいるが、要所要所に東海自然歩道の標識があり、迷うことはない。 と言いつつ、一度迷ってしまい近くの民家で道を尋ねた。これも土地の人とのコミュニケーションのきっかけのひとつと思えばよい(笑)。 |
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木垣? 石垣ならぬ木垣? みごとに揃った同じ太さの木で積み上げてあった。 |
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棚田 棚田では稲の借り入れが始まっていた。稲架けも懐かしい風景。 |
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室生の里を離れると峠越えの道が始まった。杉や桧の植林地の中の石畳道を行く。 |
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門森峠 急な九十九折れの石畳道を登りきったところが峠だった。峠というよりも尾根のたわんだところ。峠というのはタワから来ているとの説もあるが、まさにそのことがぴったりするところ。 10月に入ったが、蒸し暑い日だった。ここまでの上りでびっしょり汗を掻いた。コンビニで買ってきたおにぎりでお昼にする。展望はまったく得られない。 |
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石畳道 峠からの下りは少し緩やかになった。だが、相変わらずの植林帯の中。湿っぽく、青く苔むした石畳道。少し油断するとつるりと滑りそう。ずいぶん慎重に下ったので意外と時間が掛かった。と同時に知らず知らずに力が入ったのか疲れた。 |
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細い長谷川の流れを何度も渡り返し、道が平坦になったと思ったらぽっかりと明るい車道に飛び出した。朝室生寺へ行ったバス道だ。大きな東海自然歩道の看板があるので逆コースを取っても入り口は分かり良い。 |
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赤い欄干の一乃橋で長谷川を渡り車道を行く。右手にある柱状節理の岩壁の下を行き、左下に見える宇陀川を室生路橋で渡る。すぐ右に行き165号線の高架橋下を行くとやがて左に大野寺があり宇陀川を挟んで対岸に大野の磨崖佛が見える。 |
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大野寺大磨崖佛 鎌倉時代、承元3年(1209年)後鳥羽上皇の勅願により作られた。 30mほどの弥勒巌(石英安山岩)に、高さ13.8mのくぼみを切り込み、その中に弥勒佛立像が線刻されている。佛身の高さは蓮座共で11.5mあり、磨崖佛としてはわが国最大のもの。 平成4年に石仏表面の剥落が見られたため、翌5年から剥落止めや、地下水が表面に染み出さないよう流れを変えるなど大規模な修理が施され、平成11年に今の姿になった。 |
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大野寺 寺伝によれば、白鳳9年(681年)役小角の開基とある。天長元年(824年)弘法大師が、室生寺の西の大門と定めて一宇を建て、本尊弥勒菩薩を安置し慈尊院弥勒寺とした。その後、地名から大野寺と呼ばれるようになった。 なお、東の大門は田口の長楽寺、南は赤埴の仏隆寺、北は名張の丈六寺。 境内には樹齢300年といわれる2本の枝垂れ桜が見事で、花期には花見客で賑わう。 終着点の室生口大野駅は、ここから10分ほど。 |