里山歩き


奥多摩むかしみち


2003.5.2歩く

              


コ  ー  ス
行程 9km 徒歩 4時間

奥多摩駅(バス15分)水根バス停(50分)浅間神社(45分)牛頭観音(45分)白髭神社(50分)槐木(50分)奥多摩駅

奥多摩むかしみちは奥多摩町氷川から、奥多摩湖の手前水根を結ぶ全長9kmの歩道である。嘗ては内藤新宿からこの道を通り、大菩薩峠から塩山に出て甲州街道に合流する甲州裏街道として利用されていた。明治に入って柳沢越えの現ルートが開通されてからは、生活の道としてのみ利用されるに止まったが、今また「奥多摩むかしみち」として整備され多くのハイカーで賑わうようになった。

バスは奥多摩湖の一つ手前の停留所、水根沢で降りる。バス停の反対側が、むかし道の入り口。

山は新緑の美しい季節を迎えた。いろんな色の緑で装いを凝らしている

途中展望が開け、眼下に東京都の水瓶奥多摩湖が見える。手前の小河内ダムは昭和32年に完成した。これを題材にした小説が、石川達三の「日陰の村」。

山腹を削るようにして付けられた石畳の道は水根の集落に入っていく。
ここには青目不動尊がある。
「その昔、修験法印の奥平家で一堂に不動明王・薬師如来・弘法大師の尊像を祀り、悪魔退散・衆生斉苦を祈願し村の人々を守護して日々の暮らしに光明を与えていました。」と、手前の案内板にあった。

水根の集落を出ると細い山腹の道となる。都心の青梅街道からは想像も出来ないが、これが青梅街道だ。   

ほどなく浅間神社。しばらく腰を下ろし、汗を拭いたいところだ。  

こちらからも小河内ダムが。ダムの高さは150mあるという。  

山肌にへばり付くように建つ民家には平らな庭はない。山の斜面が庭だ。そこでは春たけなわ。いろんな花が出迎えてくれた。  

オダマキ。  

シャクヤク。
近くに居た爺さんに、こんにちはと声をかけたら、今採って来たばかりのノビルを一掴み新聞紙に包んでくれた。  


多摩川の清流を見下ろす。目の醒めるような新緑も素晴らしいが、秋の紅葉も見事に違いない。

この辺りから旧青梅街道の広い車道を行くが、今はほとんど車が通らないので、大手を振って歩ける。  

牛頭観音
むかし、奥多摩の産物を運び出すのに馬だけでなく、牛も使役していた。馬頭観音は良く見るが、牛頭観音というのは珍しい。牛馬の息災を祈願した。  

馬の水のみ場
ここで馬を休ませ、かいばを与えた。馬方衆も「たてば」と呼ばれる茶店で一服した。
茶店は3軒あり、駄菓子・うどん・饅頭、それに酒やタバコも商っていたそうだ。  


この辺り渓谷が美しい。惣岳渓谷という。
寛保2年(1742年)、明治40年(1907年) に奥多摩一帯を襲った大水害によって、多摩川南岸のしだくら谷から押し出された巨岩が累々と重なり渓谷美を作っている。  

高さ30m、幅40mの大岩壁は、秩父古生層のうち石灰岩層の断層が露出したもの。このように断層面が大きく露出したものは珍しく、東京都の天然記念物になっている。
白髭神社はこの巨岩を御神体として祀る。  


槐(サイカチ)の巨樹が現われるとこの行程ももう一息だ。昔から登り荷、下り荷の人々の休み場になっていたところ。休憩舎やトイレもあり、一息入れていこう。付近には念仏供養塔や馬頭観音などもある。  

道は古いトンネルの上を越える。細い線路も残っている。小河内ダム建設のとき、資材運搬のトロッコが走ったところだ。  

石段の上の方に羽黒三田神社が鎮座している。そこから前の坂を羽黒坂と言うようになったが、結構急な坂で、荷物を背負ったり、車を引いての登りは苦しかったと思われる。  

むかし道もここまで。ここからは車の行き交う今の青梅街道。奥多摩駅までもう少し。車に気をつけながら歩こう。  

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