街歩き
三室戸寺から平等院へ
2011.5.15歩く
宇治と言えば源氏物語の終章、宇治十帖で知られている。源氏物語の主人公源融の別荘があったところが平等院鳳凰堂。ここは10円硬貨でおなじみ。西国三十三箇所観音霊場第十番札所三室戸寺から、源氏物語の世界へ足を運んでみた。 |
京阪電車三室戸駅 三室戸駅へは大阪方面からだと、淀屋橋から無料特急で41分で中書島へ。ここで宇治線に乗換12分で三室戸駅に着く。京都からは三条から15分で中書島へ。 京都駅からは近鉄京都線急行8分で丹波橋へ。ここで京阪電車に乗換3分で中書島に着く。 |
|
前方の改札を出て左へ線路を渡り真直ぐ東へ進む。途中JR奈良線を渡りしばらくで二股に分かれる。大きな石標に案内され左の道を行く。あたりは静かな佇まいの住宅地。西国三十三箇所の巡礼道だが、平日のためかほとんど人に会わない。 やがて三室戸寺の入口。ここからは参拝客が多くなった。ほとんどが車でのお参りだ。 |
|
三室戸寺 ゆるい坂を上がり、山門を入って奥まった山の麓に立派な本堂がある。 宝亀元年(770)に光仁天皇の勅願により創建されたと伝える古刹。修験宗の別格本山で、本尊は千手観世音菩薩。何度もの火災に遭ったが、現在の本堂は文化2年(1805)に再建されたもの。 ここは西国三十三箇所観音霊場の第十番札所となっており、常に参拝客で賑わっている。 |
|
鐘楼と三重塔 本堂の東側に鐘楼、つづいて三重塔がある。 この塔はもとは兵庫県佐用町の高蔵寺に建立されたものを、明治43年(1910)に当寺が買取り参道西の丘上に移築した。さらにその後鐘楼の東側の現在地に移築されたもの。 |
|
つつじ ここは花のお寺としても知られている。訪れたときは2万株あるというツツジが見事に山の斜面を彩っていたが、同じく1千株のシャクナゲ、そして6月の1万株のアジサイは有名。さらに7月のハスから秋の紅葉と花が絶えず、これを目当てに多くのカメラマンや画筆を取る人が訪れるという。 |
|
三室戸寺から元の道を戻り、二股の少し手前で左に入る。角の電柱に平等院近道という標識がある。さわらびの道へ通じる入口だ。 |
|
案内板 路上に埋め込まれている案内板。来た方と行先が良く分かる。それに路上のため良く目立ちながら景観を損なわない。ただし、あまり熱心に見入っていて車にはねられないように。 |
|
蜻蛉の古跡 宇治といえば源氏物語。紫式部の源氏物語は平安時代の貴族の華やかな暮らしと恋愛模様を描く。 全54帖のうち最後の10帖は、舞台を京の都から宇治に移って書かれたので、特に宇治十帖といっている。江戸時代にこの10帖のそれぞれの帖にゆかりのあるところを選び宇治十条の古跡として定められた。ここは、浮舟を失った薫が、はかな飛び交う蜻蛉を見て、浮舟をこの蜻蛉にたとえて偲んだとされているところ。 |
|
源氏物語はもちろんフィクション。市内各所にある宇治十帖ゆかりの古跡といっても作られた場所に過ぎないが、今でも十帖の古跡をめぐりながら源氏物語の世界を偲ぶ人が多い。 線刻阿弥陀三尊仏 蜻蛉の古跡のすぐ傍に高さ206cm、下部の横幅106cmの自然石の石碑がある。正面に阿弥陀如来、向って右面に観音菩薩、そして左面には勢至菩薩と十二単衣の女性像が線彫りされている。この女性像は往生者を表わしているらしい。平安時代後期の作といわれ、かげろう石と呼ばれているが、これも源氏物語によって作られたものだろうか。 すぐ横にある京都翔英高校の南側を回り込み次の通りを左へしばらく南下する。突き当りを右に行くとすぐ先に宇治市源氏物語ミュージアムがある。 |
|
宇治市源氏物語ミュージアム 宇治市が平成10年に開館したもので、ハイビジョン映像や模型などで源氏物語の世界を紹介している。映像展示室では、宇治橋に祀られている伝説の橋姫が語る「宇治十帖」のあらすじを20分の映像で見られる。 このほか、平安貴族が楽しんだ香りのコーナーや情報ゾーン、ショップなどもあり、源氏物語を理解するにも是非寄ってみたいところ。 |
|
總角の古跡 ミュージアムを出て静かなさわらびの道を行く。左に東海自然歩道を分けると源氏物語第四十七帖、總角の古跡の碑がある。 四十七帖(宇治十帖の3)は、薫君から恋心を打ち明けられた大君が、妹の中君こそ薫君にと思う。薫君はその中君を匂宮と結ばせることにより大君を得ようとするが儘ならず、大君は妹を思うあまり病の床に伏してしまう。そして薫君の手厚い看護を受けながら亡くなるというシーンを描く。 |
|
与謝野晶子歌碑 總角の古跡のすぐ先に宇治十帖を歌った与謝野晶子の歌碑がある。 總 角 こころをば火の思ひもて焼かましと 願ひき身をば煙にぞする など5首の歌が刻まれている。 |
|
宇治上神社 歌碑から60mほど先で、さわらびの道は大きく右へカーブするが、そこが宇治上神社。 神社の創建ははっきりしないが、平安時代に平等院が建立されたときにその鎮守社となっている。江戸時代までは、この下の宇治神社と併せて離宮八幡と呼ばれていたが、明治になって分離された。 この寝殿造りの拝殿は鎌倉時代に建てられたもので、現存する拝殿としては最古のもの。国宝に指定されている。 |
|
本殿 平安時代後期に建てられた本殿は、現存する神社建築としてはわが国最古のもの。一間社流造りの内殿3棟があり、それぞれ右から菟道稚郎子、応神天皇、仁徳天皇を祀っている。1棟の建物のように見えるが、鎌倉時代にこの覆屋で覆ったもので大変珍しい。国宝。 平成6年(1994)には、ユネスコの世界遺産に登録された。 |
|
宇治神社 宇治の氏神で、祭神は第15代応神天皇の皇子菟道稚郎子命。応神天皇は天皇位を菟道稚郎子命に継ごうとしたが、兄を差し置いて継ぐことは出来ないと死をもって兄に譲った。後に兄の仁徳天皇はここに祠を建てて神霊を祀ったのが神社の始まりと伝えているのだが(応神、仁徳同体説もある)。因みにこの辺りは菟道稚郎子命の宮居の跡で、応神天皇の離宮跡でもあったと伝える。 本殿は、三間社流造りで桧皮葺。国の重文。 |
|
宇治十帖モニュメント 宇治神社から真直ぐ下って行くと宇治川に出る。宇治川の中の島に架かる朝霧橋の袂に宇治十帖のモニュメントがあって、人気の写真スポットとなっている。これは、浮舟と匂宮が小船の上で愛を語り合う場面をモチーフに、宇治十帖の象徴として建てられたもの。 後ろの朝霧橋で中の島に渡れるのだが、すぐ上流にある天ヶ瀬ダムが放流されるときは流に勢いが増し通行止めとなる。この日も渡れなかった。 |
|
宇治橋 朝霧橋から下流に向い宇治橋を渡る。 この橋、最初に架けられたのは大化2年(646)と伝えるから古い歴史を持つ。源氏物語を始め、古くから文学作品や美術作品に描かれ親しまれてきた。宇治橋は、宇治川を挟んで、宇治離宮のある此岸から、平等院のある西方極楽浄土のある彼岸へ渡るかけ橋でもある。 橋はその後何度も架け替えられ、今の橋は平成8年3月に架け替えられたもの。長さ155.4m。幅25m。 |
|
平等院表参道 宇治橋で宇治川を渡り、極楽浄土の地へ来るとどこからともなく甘い香りが漂ってくる。 ここは平等院へ通じる表参道。さすが茶どころ宇治だけあって、室町時代からつづくという宇治茶の老舗が並ぶ。甘い香りの元はここ。「日本かおり風景百選の道」にも選ばれている。 |
|
平等院 はじめ、嵯峨天皇の皇子で臣籍降下した源融(源氏物語の主人公光源氏のモデルとも言われている)の別荘であったが、その後藤原道長のものとなり、さらにその子頼道が譲り受けた。永承7年(1052)、その関白頼道が大日如来を祀り寺に改めた。 この頃極楽往生を願う浄土思想が盛んになってきた頃で、翌天喜元年(1053)、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立された。いまの鳳凰堂である。 |
|
鳳凰堂 阿弥陀堂として建てられた本堂は、寝殿造りを基本に、極楽浄土の宮殿を模したものといわれ、中堂と左右の翼廊が鳳凰の羽根を広げた姿に似ているのと、屋根の1対の鳳凰から鳳凰堂と呼ばれている。 本尊は平安時代を代表する仏師定朝作の阿弥陀如来坐像。本尊他雲中供養菩薩像52体、九品来迎図、梵鐘、鳳凰1対(いずれも国宝)など多くの平安時代の美術品がある。10円硬貨のデザインに使われ、誰もが知っている建物。平成6年に世界遺産に登録された。 |
|
橋姫神社 平等院を出てすぐ左の道を入り県通りに出る。これを右に行くと橋姫神社がある。橋姫は古くから橋の守護神とされている。初め宇治橋の西詰めにあったが、明治3年(1870)の洪水で流され、現在地に遷された。同じく水の神である住吉明神も並んで祀られている。 源氏物語の宇治十帖の一番目は「橋姫」で、ここがその古跡となっている。 |
|
JR宇治駅前 橋姫神社から再び宇治橋西詰めに出る。右へ橋を渡ると京阪電車宇治駅が近い。反対に広い通りを西に進むと10分ほどでJR宇治駅。ここから京都駅まで快速で17分。 |
|
ポスト 宇治駅前にあった郵便ポスト。平成13年に宇治市制施行50周年を記念して設置されたもの。現役で働いています。さすが茶どころ宇治らしいですね。 |