街歩き
城下町土浦を歩く
2009.6.19歩く
土浦城は永享年間(1429〜1441年)に今泉三郎によって築城された。その後天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原城攻めのときに徳川家康の次男結城秀康が入り大改築して城郭としての形を整えた。このとき城下町土浦も整備され今日に至っている。本丸、二の丸のあったところは亀城公園となっており、 ここを中心に市内に残る城郭の一部や城下町特有の鉤の手道、蔵造りの家並みに当時の面影を偲んで歩いた。 |
土浦駅 常磐線土浦駅へは上野から特急で47分。普通列車だと1時間10分。 改札を出ると観光案内所があるので、ここで市内案内図などもらっていくと良い。ただし、オープンは10時から。 |
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改札を出て右へ西口に出ると正面にイトーヨーカ堂がある。ここの右手の広い通りを行くと直接亀城公園に行くが、ここは左側の道を行き、イトーヨーカ堂を過ぎたところでさくら通りに入る。 |
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小便小僧 以前は公園などで良く見かけたが、最近はあまり見なくなった。可愛い懐かしい姿です。 これを右に見て真直ぐ進むと県道263号線に出る。頭上を学園都市に通じる高架道が走っている。263号線を渡り左へ、高架道に沿って右へカーブしていき、最初の通りを右に折れる。これが旧水戸街道で、ほどなく東光寺が現われる。 |
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東光寺 慶長12年(1607年)心庵春伝によって開かれたと伝える曹洞宗のお寺。本尊は大日如来。この朱塗りの建物は瑠璃光殿と呼ばれる薬師堂で、堂内棟札によると元文4年(1739年)に建立されたもの。眼病にご利益があるとして信仰を集めてきた。市指定文化財。 | |
境内墓地の奥に一段と高くなっているところがある。東光寺の北近くに土浦城の南門があり、ここから左右に土塁が築かれていたが、その遺構がこれ。市指定文化財。 境内には嘉永5年(1852年)10月蕉翁159年忌に建てられた松尾芭蕉の句碑がある。 | |
等覚寺 東光寺を出てすぐ右隣が等覚寺。元は新治郡の藤沢にあった極楽寺で、慶長10年(1605年)に現在地に移ってきて等覚寺と改称した浄土真宗のお寺。。 | |
銅鐘(極楽寺鐘) 建永元年(1206年)に小田城主が極楽寺に寄進したもので、土浦の般若寺、潮来の長勝寺とともに常陸三古鐘のひとつと言われており、国の重要文化財に指定されている。 | |
沼尻墨僊の墓 等覚寺を出て通りを渡り向かいの露地を入ると花蔵院の不動堂がある。沼尻墨僊の墓はその裏、民家の庭先のようなところにひっそりと建っていた。 墨僊は、安永4年(1775年)に今の大手町に生まれ、町医沼尻石牛の養子となるが、多芸多才な人で、寺小屋「寺習斎」(のち「天章堂」と改称)を開き多くの子弟を教育する傍ら、エレキテル(発電機)を作り、自作の渾天儀で天体観測をし、さらに普段は傘のように畳んでおける傘式地球儀を作るなど数々の業績を残した。 安政3年(1924年)に82歳で没したが、大正13年には従五位が贈られている。 | |
大手門跡 再び水戸街道に出て、右、左と鉤の手に曲がる道を行き、菓子店の横の道を左に入ると正面に土浦幼稚園がある。この辺り土浦城の大手門のあったところ。記録によると外側に単層の門、内側に二層の櫓門の二つの門を備えた内枡形で、元和元年(1622年)に建てられ、明治6年(1873年)に取り壊されたという。 ここを右へ行くと搦手門だが、大手門、搦手門が共に城の東南方向(霞ヶ浦)に向いているのは珍しく、攻めにくく、逃げるときは舟を使って霞ヶ浦に出易かったからだろうといわれている。 | |
矢口家住宅 元の旧水戸街道に戻る。この通り、中城通りといって、通りに面して古い商家や寺院、史跡が点在し、城下町の情緒を味わうことができる。 矢口家住宅は中城通りに面した老舗の酒屋。醸造母屋と酒蔵が並んだ県内屈指の町屋建築。天保年間(1830〜1843年)に建てられたものと言われ、県指定文化財となっている。 | |
まちかど蔵 江戸末期に建てられた蔵で、民俗や予科練関係の資料を展示するほか、土産物の販売や観光案内なども行っている。向かいには同じく「大徳」があり、時折写真展などの催しもあり、屋内の見学もできる。 | |
土浦城への近道 まちかど蔵の先の道を左に入ると土浦城への近道がある。「歴史の小径」と書いた手作りのかわいい標識がある。 正面に不動院。その横同じ境内に琴平神社がある。神佛習合時代の名残だ。 またここは沼尻墨僊の寺小屋「時習斎」のあったところで、墨僊七回忌のときに建てられた「退筆塚」がある。 | |
不動院の力石 不動院の横にあった力石。各地の神社や寺の境内などで時たま見かける。ここでも祭礼の時などに屈強の若者たちが力比べをしたのだろうか。 不動院と琴平神社の間を通り抜けていき、突き当りを右へ搦手門跡の碑を見て亀城通りに出る。これを左へ行くとほどなく土浦城に着く。 |
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亀城公園 土浦城は桜川が霞ヶ浦に注ぐ河口近くに築かれた平城で、このため幾つもの水路と何重にも掘られた堀によって護られていた。 また土浦は洪水に見舞われることが多く、このときは城だけが亀の甲が水中に浮かんでいるように見えるため亀城と呼ばれていた。 現在土浦城本丸と二の丸跡が亀(き)城公園となっている。 |
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土浦城本丸跡 土浦城は永享年間(1429〜1441年)に若泉氏の築城とされている。戦国時代には信太氏・菅谷氏が入って骨肉の争いもあったが、豊臣秀吉の小田原攻めの後徳川家康の次男秀康が入城、本格的な城郭としての整備が行われた。 江戸時代には松平氏、西尾氏、朽木氏と続き、土屋氏(9万5千石)となって幕末を迎える。 本丸跡の東西にそれぞれ東櫓、西櫓が復元されている。 |
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櫓門 二の丸から本丸に入る表門。明暦2年(1656年)朽木稙綱によって築造されたもので江戸時代前期の城郭建築物としては関東地方に現存する唯一のもの。2階にある太鼓で時を知らせたので太鼓櫓とも言われた。 |
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恋の季節 亀城公園は市民の憩いの場となっていて、園内には小動物園もあり、樹高16メートル、樹齢500年と推定されている県指定天然記念物のスダジイの巨樹がある。 |
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土浦市立博物館 亀城公園に隣接して土浦市立博物館がある。パソコンやビデオ、常設展示されている資料で土浦の原始から現在までを学ぶことができるので、是非寄って行きたいところ。 入館料 一般105円。休館日 月曜日(月曜日が祝日のときは火曜日)。 |
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神龍寺 戦国時代土浦城主であった菅谷勝貞が創建した曹洞宗のお寺で、歴代土浦城主の菩提寺となっている。室町時代の絹本着色普賢菩薩像(県指定文化財)がある。 当寺24世住職の秋元梅峰が、大正14年(1925年)に海軍航空隊殉難者の慰霊のために開催した花火大会が、今も全国花火競技大会として毎年10月に開催されており、全国の花火業者の登竜門となっている。 |
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郁文館正門 土浦藩の藩校郁文館の正門。寛政11年(1799年)に土浦城内に建てられたが、天保10年(1839年)に現在の地に移転した。ここは今は土浦一校となっており、この門も同校の通用門として使用されている。 ここから国道354号を南に行き、しばらくで桜川を渡りゆるく阪を上っていくと左に常福寺への入口がある。 |
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常福寺 大同年間(806〜810年)最仙上人の開山と伝える古刹で、真言宗のお寺。本尊は木造薬師如来坐像(国重要文化財)。 境内にあるイチョウの木は市の天然記念物となっている。 お参りを済ませると正面の階段を下り、旧水戸街道に出たら左へ。再び桜川を銭亀橋で渡り左岸を流れに沿って下る。 |
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桜川 桜川市岩瀬地区に源を発する桜川は、筑波山の西麓を流れ土浦で霞ヶ浦に注ぐ。この辺り両岸は見事な桜並木がつづく。 |
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勾橋 下流に進むとしばらくで勾橋に着く。古色蒼然とした趣のある橋だが、コンクリート製の頑丈な橋のように見えるが、老朽化が進んでいるためか今は車は通れないようになっている。 |
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勾橋の袂を左に折れ、二つ目の信号を右へ行くと土浦駅に出る。 この辺り夜になると賑わいそうだが、昼間はひっそりしている。 |