街歩き


下館の街を歩く


2012.6.30歩く

コ ー ス  徒歩約1時間15分
JR水戸線下館駅(8分)アルテリオ(5分)羽黒神社(6分)板谷波山記念館(8分)薬師堂本堂(4分)星宮寺(7分)下館城址(7分)定林寺(20分)中村美術サロン(5分)加波山事件志士の碑(5分)下館駅

 下館は、天慶年間(938〜948)に、藤原秀郷が平将門の乱を鎮めるために、上舘、中舘、下館の館を築いた内の一つ。その後上舘は久下田城、中舘は伊佐城となり、下館は水谷氏が結城氏より与えられ築城した。その後江戸時代になって松平、増山、井上、黒田、石川氏が入り明治維新まで続いた。その間城下町として、商業の町として栄えてきた。平成17年に周辺の真壁町・関城町・明野町・協和町と合併して筑西市となった。  



下館駅
 下館駅は茨城県南西部の交通の要衝地となっている。
 東北本線小山駅と常磐線水戸駅を結ぶJR水戸線があり、常磐線取手駅からは関東鉄道が乗り入れている。さらに真岡鉄道が益子を経て茂木まで通じており、この線では休日にSLが運行され、人気を博している。

稲荷町通り
 下館駅を北口に出ると、県道305号線と306号線が北に向かってV字型に延びる。右側の305号線を行く。両側の歩道幅も広く取ってあり、すっきりした通りだが、日曜日だというのに、あるいは日曜日だからか、車も人影も少ない。    

しもだて美術館
 アルテリオ前の交差点を渡ると、右手が筑西市しもだての合同庁舎。左によく目立つアルテリオがある。  中には、板谷波山、森田茂の文化勲章受章者をはじめとする、下館ゆかりの作家の作品を中心に所蔵・展示するしもだて美術館や地域交流センターなどの施設がある。

 手前の交差点を左に行くと、通りを一つ渡って右手に羽黒神社がある。

羽黒神社
 文明10年(1478)下館に入った水谷勝氏が、3年後の文明13年に創建し、出羽国羽黒山から羽黒大神を勧請したという。
 祭神は、大己貴命、玉依姫命。その後城の鬼門、風門、病門など6ヵ所に羽黒神社を建立し、七羽黒と呼ばれている。
 毎年7月下旬の4日間、この羽黒神社を中心にして行われる夏祭りは、下館祇園祭とも言われ、大きな神輿や山車が出て賑わう。
 境内には、摂社愛宕神社があり、神体である木造愛宕明神立像は、翼を持った珍しいもので、県の文化財に指定されている。  

板谷波山記念館
 羽黒神社の右手の坂道を降り、真直ぐ東へ進むと先ほどの稲荷町通りに出るので、これを北に向かう。国道50号線を渡った角に板谷波山記念館がある。
 陶芸家板谷波山は、明治5年当地に生まれた。明治22年東京美術学校(現東京藝術大学)に入学、岡倉天心や高村光雲に学んだという。卒業後、金沢で教師をした後、東京田端に窯を築いて作陶生活に入った。
 近代日本の陶芸界で指導的な役割を果たし、昭和28年に陶芸家としてはじめての文化勲章を受章した。

 波山は昭和38年91歳で逝去するが、没後の昭和43年に生家を中心にして記念館が開設された。
 その後東京田端にあった工房も移築され、独特の工夫をなされた、三方焚口倒焔式丸窯も復元されている。  

 展示館には、数々の陶芸作品のほか、下絵や素描などが展示されている。特に制作途中であった彫文様がはっきりわかる唐花彫文様花瓶は貴重なもの。
 あわせて、生前に愛用した品々や、業績を証かす勲章なども展示されており、波山の人となりを伺い知ることが出来る。

 波山記念館を出てR50を東に進む。
 道に沿って所々に蔵造りの店が残っており、商業の町下館の昔の面影が偲ばれる。    

 次の金井町の交差点を左折する。
 この辺り金井町の蔵の町並み。所々に残る古い店蔵を見ながら行く。

薬師堂本堂
 金井町の町並みを真直ぐ北に進むと道が大きく左にカーブするところの角に薬師堂がある。この辺り一帯は、今は廃寺となった大徳寺の境内だったところ。
 この薬師堂は、文明10年(1478)に初代下館城主の水谷勝氏により創建されたもので、本尊の薬師如来は、眼病に効能があるということで、昭和の中ごろまで参詣者で賑わったという。
 現在の堂宇は元禄4年(1691)に再建されたもの。

星宮寺
 薬師堂から道は左へカーブして西に進む。再び稲荷町通りを渡り、坂道を上がって行くと、坂の途中左に大きな山門のある星宮寺がある。
 寛永16年(1639)、当時の壇越飯田作兵衛重正が発願して、今の市内五所地区大谷に建立した日蓮宗のお寺。明治22年に旧下館城内の現在地に移転した。明治35年に暴風雨で倒壊したが、その後逐次復興し、平成13年に山門が再建された。
 お寺は高台にあり、境内からは正面に筑波山が美しく望まれる。  

下館城址
 星宮寺からなおも坂道を上ると県道306号線に出る。ここを右へ行くとすぐ右手に下館小学校があり、その先に八幡神社の鳥居がある。
 ここは、天慶3年(940)平将門の乱のときに、藤原秀郷が、上舘、中館、下館の内下館を築いたところ。
 後、水谷勝氏が文明10年(1478)に初めて築城し、入城した。  

 鳥居の脇に、城址を示す石碑がある。鳥居を潜った八幡神社の境内は本丸のあったところ。この地は高台にあり、周囲を取り囲む川や沼地を巧みに利用した天然の要害の城だった。
 城主は、水谷氏の後、水戸頼重、増山、黒田と度々変わり、享保17年(1732)石川氏が入り、9代137年間この地を支配したが、明治になって廃城となった。

玉叟山定林寺
 下館城址をさらに進むと左に定林寺がある。
 もと市内稲野辺にあった般若山定林寺という真言宗のお寺を、水谷勝氏が菩提寺とし、禅宗に改宗、山号も勝氏の法名をとって玉叟山とした。その後下館城内を経て、寛永7年(1528)に現在地に移された。
 現在は曹洞宗。寺宝に鎌倉時代、永禄10年(1567)7代水谷勝俊寄進の銅鐘(県指定文化財)がある。

 定林寺を出て、県道308号線を真直ぐ南に下り国道50号線を渡る。
 ここにもところどころ古い建物がある。これは時計店。オープン当時は洒落た建物だったのだろう。英字は左から右へ。漢字は右から左への看板が古さを思わせる。屋上の時計は正確に時を刻んでいた。

中村美術サロン
 さらに進むと左に落着いた蔵造りの中村美術サロンがある。
 代々下館の本陣役や町年寄りを勤めていた中村家は、藩の財政危機の折、その建て直しに寄与する一方、文学や芸術に対する造詣も深く、蕪村や板谷波山をバックアップしていた。
いま、店蔵を改造してギャラリーとし、中村家のコレクションである、地元出身の作家の陶器や絵画などの作品を展示している。

加波山事件志士の碑
 道が左に大きくカーブするところの正面角に妙西寺がある。右に分かれる道を入ると左が山門。右に加波山事件志士の碑がある。
 明治17年9月、福島、栃木、愛知と下館の有為館館長富松正安ら、自由民権家らが加波山に集結、「自由立憲」の旗を掲げ、立憲政府樹立と自由と民主主義を願って政府転覆を企てた。しかし、警察に察知され、四散したものの全員捕えられ処刑される。これが加波山事件である。
 石碑は4つあり、富松正安ら地元参加者の名が刻まれている。
 元の広い道に戻りしばらくで下館駅に戻る。




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