街歩き
北総の小江戸佐原を訪ねて
2009.3.17歩く
佐原は江戸期に舟運で開けた街である。安政2年(1855年)に書かれた赤松宗旦の「利根川図誌」にも、佐原は下利根で第一に繁盛しているところであり、米穀やいろんな荷物の揚げ下げや旅人の舟は川口からここまで先を争い、両岸の狭さを嘆くほどだったと言い。水上や陸上を往来する群衆は昼夜を分かたずとどまることが無かったと紹介している。 佐原は河岸の町として発展し、下総国最大の街として賑わい、多くの文化人も生み出した。中でも伊能忠敬の功績は驚嘆に値する。 今も江戸から明治にかけて建てられた古い蔵造りの店が並び、江戸の色彩を色濃く残している街をのんびりと歩き、中高年の星にあやかってみようと訪ねてみた。 |
JR佐原駅 成田から30分。今日のスタート地となる佐原駅。 |
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諏訪神社の大鳥居 駅前の通りを真直ぐ(南南西方向)進むと大きな石の鳥居がある。諏訪神社の参道で、この鳥居を潜って進む。途中左手に駅前観光案内所があるので、情報を仕入れていこう。 |
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伊能忠敬像 佐原といえば佐原囃子と伊能忠敬。諏訪神社のある諏訪山の麓に佐原公園があり、その一角に伊能忠敬の銅像が立てられている。 伊能忠敬は、延享2年(1745年)現在の九十九里町に生まれ、17歳のときに佐原の醸造業伊能家の婿養子となった。醸造業を営む傍ら36歳で名主となるが、49歳で隠居する。 50歳で江戸に出て天文方高橋至時について天文学を学び、55歳になってから日本全国を測量して歩き、わが国初の実測日本地図の制作に取り掛かった。10次に亘る現地測量の後、文政元年(1818年)73歳で八丁堀亀島町宅で没するが、その3年後門弟達の手によって「大日本沿海輿地全図」が完成した。 中高年の鑑となるような人だ。 |
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諏訪神社参道 伊能忠敬像のある公園の左手に急な石段があり、これを登ると諏訪神社。 |
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諏訪神社 佐原の町の西方に当たる新宿の鎮守社である。 天慶の乱で、西国の藤原純友を討った大神惟季がその功により下総国大須賀荘の領主に任じられたが、その折領内鎮護の神として信濃諏訪大社から勧請したもの。祭神は建御名方神。現在の社殿は嘉永6年(1853年)の造営したもの。 毎年10月の第2土曜日を挟んで金・土・日の3日間秋祭りが執り行われ、14台の山車が街を曳き回され、7月に行われる八坂神社の祇園祭とともに大いに賑わう。 |
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展望台 諏訪神社の境内を東へ進むと車道に出る。この少し先に開けたところがあり佐原の町を一望することが出来る。遠くに利根の流も見ることができるが、この日は曇っていてはっきりしなかった。 |
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荘厳寺 展望台から道路を挟んで反対側にある。真言宗のお寺で、本尊は不動明王(菅谷不動尊)。開基は寛永18年(1641年)と伝えられている。 境内の観音堂には木造十一面観音立像(国重文)が安置されている。もとは香取神宮の本地仏であったが、明治の神仏分離令によりここに移された。平安中期の作とみられ、木造仏では千葉県最大最古のものと言われている。 |
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荘厳寺を出て右へ、しばらく行くと行き止まりとなるのでその手前を右へ、そしてすぐ左へ坂道を下りる。下の車道に出て左の墓地に沿って進むと絹地に金泥で描かれた「絹本着色浄土曼荼羅」(史指定文化財)を保存する法界寺の前に出る。この前の香取道を行くと左に見学も出来る東薫酒造・馬場酒造が並ぶ。 馬場酒造の前の信号を右に入ると「下総国旧事考」を著した清宮秀堅の旧宅があり、門前に「北総詩誌」の一部を刻んだ石碑がある。 |
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小堀屋本店 元の香取道を先に進むと小野川。その両岸や前後に古い町並みが続く。 小野川に架かる忠敬橋の手前にある小堀屋本店は、天明2年(1782年)創業の蕎麦屋。老舗中の老舗だ。建物は度々の火災に遭ったが、現在の建物は明治23年(1890年)に江戸時代の町家の建築形式を再現して建てたもの。(県指定有形文化財) 店には享和3年(1803年)に書かれた蕎麦の製法を伝える巻物が保存されている。 ここの売物は「黒きりそば」。そばに焼いた日高昆布を練りこんだもので、文字通り真っ黒。食べるとさっぱりとしていて磯の香がするようで美味しい。。 |
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正文堂書店 小堀屋本店の並びに登り龍、下り龍の彫刻と巌谷修の書による立派な看板を掲げた正文堂書店がある。 2階に見える窓は土塗りの開き戸。さらに横引きの土戸と板戸と三重になっているとか。厳重な防火対策を施した土蔵造りの店である。 明治13年(1880年)の建築で、県指定の有形文化財となっている。 この前の道が香取神宮に通じる香取道。この両側に古い建物の店が続く。そしてこのすぐ先が小野川で、両岸にも古い家並みが続く。 |
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小野川と伊能忠敬旧居 町の中心を流れる小野川は、舟運の盛んだった江戸期にはすれ違うのも儘ならないほど賑わったという。 佐原は東北から銚子を経て利根川を上ってくる人や物資の輸送中継地となっていた。佐原から江戸へ向かう人や物資もここから利根川をさかのぼり、布佐から鮮魚(なま)街道(主として物資)を、あるいは木下から木下街道(主として人)を経て松戸に至り江戸へと運ばれた。 醸造業、米穀薪炭販売を営んでいた伊能忠敬の旧居はこの橋の左の家。17歳で婿養子に入り、49歳で隠居するまでの32年間を当主としてここで過ごした。書院は後に忠敬が設計したと言われている。 屋内は自由に見学でき、当時の商人の生活様式が分かる。(国指定史跡) |
樋橋 忠敬旧宅前にある橋。初め灌漑用の水を小野川の東岸から西岸へ送るために作られた樋で、人が渡る橋ではなかった。後に樋の上に板を敷き、手摺をつけて人が渡れるようにしたという。昭和の頃はコンクリートの橋となったが、平成4年に今の橋に架け替えられた。 樋の橋ということで「とよはし」と名付けられているが、流れる水がジャージャーと漏れ落ちるので「ジャージャー橋」とも言われている。今は観光用に30分毎に水を流している。「残したい日本の音風景100選」の一つ。 |
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伊能忠敬記念館 以前は伊能忠敬旧宅の裏にあったが、平成10年に小野川の対岸少し入ったところに新しく建てられオープンした。 館内には忠敬の一生を年代順に追い、その業績を紹介するとともに、忠敬が製作した「大日本沿海輿地全図」の大図・中図・小図を展示しているが、その精度の高さに感心させられる。 併せて忠敬が使用した測量機器や測量日記・書簡・書籍などの「伊能忠敬遺書並遺品」(国重文)などが展示されている。 |
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三菱館 記念館から香取道まで戻り、小野川に架かる忠敬橋を渡り先に進むと右手に赤レンガの建物が見える。 旧三菱銀行佐原支店の建物。大正3年(1914年)に川崎銀行佐原支店として建てられたもので、イギリスより輸入したレンガを使用して建てられた洋館。2階建てとなっているが内部は吹き抜けとなっている。現在は市に寄贈され、ギャラリーとして使用されている。(県有形文化財) |
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佐原町並み交流館 三菱館に隣接してがあり、一休みするのに良いところ。お茶の接待や佐原の観光情報などを得ることが出来る。 |
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八坂神社 三菱館からさらに香取街道を進むと左に八坂神社がある。小野川から東側の本宿の鎮守社で、祭神は素戔嗚命。創建は明らかでないが、江戸初期に諏訪山天王台にあった牛頭天王社を遷宮し、明治に入って八坂神社と改名したと伝えている。 毎年7月10・11・12日に行われる祇園祭では、10台の豪華な飾り付けをした山車が「佐原囃子」の音とともに町を曳き回され、多くの見物客で賑わう。 |
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山車会館 その山車を常時見られるのが八坂神社の境内にある山車会館。祭りに使われる山車の内2台を常時展示していて見られるほか道具なども展示されており、備え付けの法被を着て山車の前で写真を撮ることもできる。 1階のホールでは八坂神社の祇園祭や諏訪神社の秋祭りの様子を3面の大型スクリーンで見ることができる。 山車会館を出たらもとの小野川まで戻り、忠敬橋から下流に進もう。こちらにも古い家並みが続く。 |
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町並み舟めぐり かつて舟運で賑わった小野川も今は静か。時折観光客を乗せた舟が芽吹いたばかりの柳の下をのんびりと行く。 舟上から見上げる町並みは、また違った趣があることだろう。 町並みコース 30分 大人1200円 小人 600円 年中無休 荒天・増水・減水時 休有 川岸には正上(県有形文化財)がある。天保3年(1832年)の建物で、当初醤油醸造をしていたが、今は佃煮の製造販売をしている。 |
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行く手にJRの鉄橋が見えてくる。その手前を左に線路に沿って行くと程なく佐原の駅前に着く。何も無い殺風景な通りだと思ったが、倉庫の壁にも町並みが描かれていて目を楽しませてくれた。 |