街歩き


成田山新勝寺と成田山公園を歩く


2009.3.12歩く

コ ー ス  徒歩約1時間50分
JR成田駅(10分)薬師堂(5分)成田観光館(10分)新勝寺総門(新勝寺巡拝・成田山公園散策約1時間)(25分)JR成田駅

関東一円に出兵し、新皇と称して関東の独立を計った平将門を調伏した不動明王を本尊とする新勝寺とその門前町、そして四季折々の花の装いで楽しませてくれる成田山公園を散策した。




 JR成田駅を出て駅前ロータリーを左から進み最初の信号を左に入る。これが成田山の表参道になる。

 参道の両側には、成田のお土産で有名な羊羹・鉄砲漬け・川魚の佃煮や、陶器・輸入雑貨などいろんな品を売る店や飲食店が軒を連ねていて、ウィンドショッピングをしながらのんびり行くのも楽しい。
 道の両脇には干支をかたどった石造物が転々と置かれている。

薬師堂
 参道の一番高いところ左手にある。新勝寺の3代前の本堂で、明暦元年(1655年)に建立されたもの。ちょうど200年後の安政2年(1855年)にこの地に移され、現在は薬師如来を安置している。成田山では最古の建物。
 道はここで二手に分かれ、参道は右へ緩やかに下っていく。  

成田観光館
 参道の途中左にあり、成田周辺の観光情報を提供している。職員が親切に案内してくれるので、観光の前に情報を仕入れていこう。
 館内には成田道のルートや参詣の様子をパネル写真やミニチュア模型などで紹介するほか、成田祇園祭で実際に曳きまわされる山車も展示している。

うなぎ屋
 観光館を出ると食欲をそそる香りがしてきた。この辺うなぎ屋が並んでいる。店先でうなぎを割いて焼いているので、その香りについ誘われて中に入ってしまう。1階のテーブルは満員。急な階段で2階に上がると広間。早速上うな重を頼む。さすがに口の中でとろけそうで美味い。ここは成田。外国人の客が多い。

大野屋旅館
 参道を行くと3階建ての上に望楼を載せた旅館がある。良く目立つ。創業300年余という。もとは成田山に納める蝋燭業だったが、参詣客用の宿泊施設が無かったところから宿泊業もはじめたとか。現在の建物は昭和10年の建築。文化庁の登録有形文化財。
 ここは「うなぎ茶漬け」が売り物で以前食してみたが、私には馴染めなかった。


新勝寺総門
 大野屋を過ぎるとすぐに成田山新勝寺の総門前に着く。
 平成19年に開基1070年を記念して建立されたもので、11月に落慶法要が営われた。

 承平年間(931〜937年)に関東で平将門が叛乱を起こし、天慶2年(939年)には新皇と称していた。朱雀天皇は将門の調伏を寛朝僧正に命じ、寛朝僧正は空海の開眼した不動明王像とともにこの地にやってきて調伏の護摩修行を行った。そして満願の日に将門は平貞盛、藤原秀郷らによって討たれたという。

 その後当地(別の場所といわれている)に一堂を構え不動明王を安置し、天皇の命名で新勝寺としたと伝えている。

仁王門
 総門を入り石段を上がると正面に仁王門。仁王門は一対の阿・吽形の金剛力士像を安置する門。左右に密迹金剛、那羅延金剛を安置している。裏側には広目天と多聞天を安置し伽藍守護をしている。
 文政13年(1830年)の建立で国指定重文。

大本堂
 さらに石段を上がると広い境内で、大本堂がある。新勝寺は真言宗のお寺。本尊は不動明王。堂内には本尊の木造不動明王の他四大明王、平成の大曼荼羅などを安置する。
 この本堂は昭和43年の建立。前本堂は左奥の方にある釈迦堂(重文)。2代前の本堂が更にその奥にある光明堂(重文)。そして3代前の本堂が参道途中にあった薬師堂。これらを見てくると新勝寺の興隆の過程が良く分かる。

三重塔
 本堂に向かって右手前にある。元禄14年(1701年)の建立。重文。
 総高25m。堂内には五智如来(金剛界の五仏で、大日如来を中心に、東南西北に阿シュク如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来を配置)を安置し、周囲の脇間には十六羅漢の彫刻が施されている。

額堂
 本堂から左へ。釈迦堂にお参りして更に右奥へ一段上がったところに額堂がある。
 信徒から奉納された額や絵馬をかけるために建てられたもので、文久元年(1861年)に建立されたもの。重文。吹き通しの堂内には「成田屋・七代目市川団十郎像」や明治40年製の「青銅製大地球儀」なども置かれている。

 額堂から奥へ進み、元禄14年(1701年)建立の旧本堂・光明堂横から右手に下って行くと噴水のある広場。ここから先が成田山公園になっている。
 噴水の前の急な石段を上がると平和の大塔。

平和の大塔
 真言密教の教えを象徴する建物として昭和59年に建立されたもので、総高58m。成田山の一番高所に建つ。
 2階明王殿に大塔の本尊である不動明王を安置している。1階では写経道場の受付もしている。

成田山書道美術館
 平和の大塔の後ろ、成田山の一番奥まったところに成田山の宝物を収蔵する成田山霊光館がある。これを見て公園の方へ下っていくと書道美術館がある。平成4年に開館したもので、江戸末期から現在までの作家の作品を多く収蔵し展示している。
 中でも圧巻なのが高さ13mの拓本。中国の名山泰山の頂上直下の自然石に彫られた玄宗皇帝の「紀泰山銘」の原拓。正面吹き抜けのホールにある。

中山義秀文学碑
 書道美術館を出て公園に下りていく途中に中山義秀の文学碑があった。中山義秀は大正15年4月から8年間旧制成田中学校で英語教師として教鞭をとっていたという。
 この碑は昭和46年にかつての教え子達によって建てられたもので、碑面には「野の花にも美しさはある 中山義秀」と彫られていた。

成田山公園三ノ池
 公園内には3つの池があり、それぞれ異なった風情がある。池の周りでは梅や桜に始まって四季折々の花が咲き、訪れる人を楽しませてくれる。  

 秋の紅葉もすばらしい。  池から左へ高台に登ると桜山。広々とした芝生広場にテーブルとベンチもある。  

高浜虚子の句碑
 遊歩道の脇に高浜虚子の句碑があった。立派な台座だが、元はこの上に七代目団十郎と六代目団蔵の銅像があったが、戦時中に供出されたという。
 その後昭和18年に八代目団蔵が、七代目団蔵の追善供養のために台座の上にこの句碑を建てたという。碑面の句は  凄かりし 月の団蔵 七代目

 江戸随一の人気歌舞伎役者初代市川団十郎は子宝に恵まれず、それが悩みだったが、新勝寺の不動明王に祈願したところ男子を授かった。それ以来成田不動尊を深く信仰し、不動尊をテーマとした歌舞伎を数多く演じたという。  

梅林の残梅
 3月15日まで梅まつりが行われていたが、今年は暖かかったせいか花期もずいぶん早く、ほとんどの梅は咲き終わっていた。
 梢の先にわずかに残っていた蕾。  

 成田山公園の入口だが、新勝寺から回ってくると出口になる。この坂を降りると三重塔の前に出る。後は総門のところに出て元の参道をお土産など物色しながら成田駅まで戻る。  




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