竹内神社
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布佐駅から北西方向に15分ほど。布佐中学の校庭横の松並木の参道を行き、石の鳥居を潜って急な石段を上ると正面に社殿がある。 祭神は、天之迦具土命。相殿は日本武尊、竹内宿祢。 創建は、承平年中(931-938)といい、平将門の乱が平定した天慶3年(940)に武内大明神を奉斎したと伝えるが、古い記録類は安政6年(1859)の名主方の火災で失われたために詳しいことはわからないという。ただ、文化3年(1806)に記されたという「由来記」があって、そこには竹内神社がここに建てられた由来が書かれている。 森田左右衛門(多右衛門と記すものもある)が、宮昨台の畑で麦の刈り取りをしていたところに、にわかに雷雨となっため、刈り取った麦を積み上げて置いて帰り、翌日行ってみると、一夜にして竹の子が生え、白蛇がとぐろを巻いていてとり入れができない。これは、たたごとではないとて、行者が愛宕神社に祈ったところ、「武内神社を此の地に移せ」との神託があって、さっそく遷座し、社名も竹内神社と改めたというのである。(我孫子市史より引用) この年代については、「由来記」に明記されていないが、社伝では、文禄2年(1592)6月とされている。 本殿は、流造、銅板葺きで、棟に千木と勝男木を置く。拝殿は、入母屋造り、瓦葺で、向拝がある。現在の社殿は昭和8年に改築され、さらに54年に修築された。 当社には、高台稲荷社、谷山権現、神明社、御嶽社、三峰社他が合祀されていて、そのいくつかの社が境内に建てられている。 毎年9月に3日間にわたって行われる例大祭は300年続く伝統のある祭礼で、1台の神輿と4台の山車が巡行し、大勢の見物客で賑わう。神輿は布佐地区の上町・布佐1丁目・2丁目・3丁目・大和町の5地区のうち毎年交代で1地区が担ぎ、残りの4地区はそれぞれの山車で練り歩く。 |
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石段を登り切って左に、日露戦争英文記念碑がある。日露戦争で、旅順を陥落した時、柳田国男らが記念の桜500本を寄付した際に建てたもので、碑面には、「IN MEMORY OF THE CONQUEST OVERTHE RUSSIANS」と刻まれている。
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神社の狛犬は珍しい子連れ唐獅子。子宝に恵まれ、子孫繁栄の効験があるとして、近郷近在の人に慕われてきた。 所在地 千葉県我孫子市布佐1220 アクセス 成田線布佐駅から 徒歩15分 |