布佐観音堂
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江戸時代、布佐は利根水運の中継地として栄えた。銚子や鹿島灘などで水揚げされた魚は舟で利根川をさかのぼり布佐河岸に荷揚げされ、ここから馬で松戸まで運ばれた。この鮮魚を運ぶための馬は1日150頭も要したという。 布佐観音堂は、これらの馬の慰霊のために魚問屋や馬主によって建立されたもの。本尊は馬頭観音。 お堂は明治3年の利根川決壊により流失、大正2年に再建されたもの。 相馬霊場58番の札所になっている。 |
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鮮魚(なま)街道 銚子から利根川を舟で運ばれてきた魚は、夏季以外の季節は布佐の河岸で陸揚げされ、そこで馬に積み替えられて鮮魚街道を陸路で松戸へ送られ、そこから再び舟便で江戸川を江戸まで送られていた。銚子を夕刻出た鮮魚は翌日の夕刻には日本橋に着いたという。 夏季は陸路だと魚の傷みが速いので、利根川を上り関宿から江戸川に入り日本橋の魚市場まで舟で送られていた。 隣の木下にも河岸があり、行徳へ通じていたが、距離が若干長く、鮮魚の輸送は主として布佐からのルートが使われていたようだ。 場 所 我孫子市布佐 アクセス 布佐駅から徒歩15分 |