杉村楚人冠記念館


 国際的ジャーナリストとして知られる杉村楚人冠が晩年過ごした旧居が我孫子市に移譲され、2011年11月に楚人冠記念館として開館した。

 杉村楚人冠(本名、広太郎)は、明治5年7月25日に和歌山市で生まれた。長じて後の中央大学となる英吉利法学校、国民英学会他で学び、地元の新聞社などを経て、明治36年東京朝日新聞社に入社する。そして語学力を生かして海外特派員を務め、明治末から昭和にかけて国際ジャーナリストとして活躍した。

 朝日新聞社では調査部長、記事審査部長、取締役、監査役などを歴任、その間新聞縮刷版の発行や写真新聞「アサヒグラフ」を創刊するなど新事業にも積極的に取り組んでいる。

 大正12年の関東大震災では2児を亡くすという不幸に見舞われるが、それを機に東京・大森からそれまで別荘のあった手賀沼畔に引越した。

 我孫子では俳句結社湖畔吟社を作り、地元の人々と交流する傍ら、エッセイ集「湖畔吟」を著して我孫子を広く知らしめたり、我孫子ゴルフ場の開設を進言するなど、我孫子の発展に寄与したが、昭和20年当地で亡くなった。享年73歳。楚人冠は、小学唱歌「牧場の朝」の作詞者としても知られている。 .



 旧居は、楚人冠がいろんな人との交流の場であったサロンをはじめ、書斎、居室など資料を基に昭和4年頃の姿に復元整備し公開している。

 建物は関東大震災の経験を生かして、屋根を軽くしたり、家具を造り付けにしたりと様々な工夫がなされていたのが分かる。また広い庭園には楚人冠が好んで各地から取り寄せたという椿が数多く植えられている。



 50mほど手賀沼寄りの、これも庭園の一部であった高台にある楚人冠公園には、「筑波見ゆ 冬晴れの 洪いなる空に」の句碑が建てられている。

開  館  9時〜16時30分
休館日  月曜日(月曜日が休日の時は翌日)、12月29日〜1月3日
入館料  大人300円(庭園のみは無料)

場  所  我孫子市緑2−5−5
アクセス  JR常磐線我孫子駅から徒歩12分


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