旧村川別荘


 親子2代に亘って、東京大学教授で西洋古代史学者として知られた村川堅固・堅太郎が別荘としていたところ。 .



 村川堅固は熊本生まれで、熊本の第5高等学校在学中の校長が加紊治五郎であった誼で、大正6年加紊治五郎が既に別荘を構えていた我孫子に別荘用地を購入、大正10年に我孫子宿の本陣離れを譲り受け解体移築して母屋とした。

 その後、大正14年に朝鮮平穣郊外で行われていた東京帝国大学の古墳発掘調査の視察に訪れた際の、現地の建物の印象をもとに設計し、昭和3年に建てられたのが新館。建築に当たっては基礎を鉄筋コンクリート、屋根を軽い銅板葺きにするなど耐震構造に工夫を凝らされている。これは大正12年の関東大震災の経験を生かしたもの。



 別荘は手賀沼を望む高台に建てられた。当時はこのすぐ下が水田で、水田越しに手賀沼、遠くに富士山も見えていた。このため新館南西側は全面ガラス戸が入れられている。

 昭和21年に堅固が逝去。その後は子息の堅太郎が利用していたが、その堅太郎も平成3年に逝去、建物は取り壊される運命にあったが、市民の要望もあり、平成13年に市が購入し、一般に公開することとなった。



 新館玄関脇に展示されている3本足の椅子は、バーナード・リーチがデザインして我孫子の大工佐藤鷹蔵が作ったもの。



 例年、桃の節句前後1週間ほどは雛飾りで華やかになる。


アクセス  JR我孫子駅南口よりバス、市役所前下車徒歩5分。
       又は我孫子駅南口より徒歩25分。
入場料   無料(9時~16時)
休館日   月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
現地ボランティアガイドあり。


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