法隆寺五重塔
初層には板葺きの裳腰をつける
中央間は連子窓付き板唐戸 脇間は連子窓
初層から4層までの柱間は3間で中央間は板唐戸で脇間は白壁
5層の柱間は2間となっている
組物は雲肘木
軒は各層とも一軒角繁垂木の平行垂木
各層の縁廻りには卍崩しの勾欄をつける
初層裳腰の上には初重の屋根を支える力士像が付けられている
これは江戸時代に付けられたもの
相輪はすっきりして美しい 平安時代に作り直されたもの
九輪の一番下の輪に鎌を取り付けている
雷獣が落ちてきて塔を焼失するのを防ぐためのもの
今で言う避雷針の意味で取り付けられたのだろう
塔では軒の出や塔身の幅が上層に行くほど小さくなっていく
これを逓減といい その差の大きいのを逓減率が大きいという
当塔は逓減率が大きく 5層の幅は初層の半分となっている
このため初層は3間だが 5層は2間
逓減率が大きく 軒の出が深いので どっしりと安定感がある
また下に行って見上げると実際より高く見える
法隆寺は推古15年(607)推古天皇と聖徳太子の建立と伝える
日本書紀によると 天智9年(670)4月30日の条に
暁に法隆寺に出火があった 一舎も残らず焼けた とある
昭和14年(1939)に今の伽藍より古い若草伽藍が発掘された
このことから現在の塔は680年頃の再建と言われている
が これにも異論(移建説)があるようだ