をみなへし
オミナエシ 乎美奈弊之 娘子部四 姫押 姫部志 娘部四
佳人部為 美人部師 娘部志 姫部思
をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも 巻4−675 中臣女郎 をみなへし 秋萩しのぎ さ雄鹿の 露別け鳴かむ 高円の野そ 巻20−4297 大伴家持 オミナエシ科 オミナエシ属 山上憶良も詠った秋の七草の一つオミナエシは、日本全国の日当たりの良い山野の草地に生える多年草。高さ0.6〜1mくらいになり、茎の上部が枝分かれして、その先に直径4mm位の黄色い花を沢山つける。花期は8〜10月。白い花をつけるのはオトコエシ。 姿形や名前から受ける感じも優しく、万葉集でも女性に見立てている歌が多い。字も娘、姫、美人、佳人の字が充てられている。なお、女郎花という字は延喜年間(901〜922年)以降つけられたもので、万葉集には無い。 675の歌意は、(をみなへしの咲くという)佐紀沢に咲く花かつみではないが、かつてしたこともない恋をしています。このをみなへしは佐紀沢にかかる枕詞で、をみなへしの花を歌ったものではない。花かつみの「かつ」と、かつての「かつ」をかけている。 中臣女郎は、命を懸けた激しい恋の歌をこの歌を含めて5首、大伴家持に贈っている。が、家持からの応える歌は無い。中臣女郎の一方的な片想いだったのだろうか。それとも万葉集に載せられない訳でもあったのだろうか。 4297の歌は、その家持が天平勝宝5年(753)8月12日(太陽暦では9月13日頃)に中臣清麻呂、大伴池主と連れ立って壷酒を持って高円山に登った時の歌。高円山は聖武天皇の離宮のあったところ。山麓には萩の寺としても知られる白毫寺がある。歌意は、をみなへしや秋萩を踏みしだき、雄鹿が露を押し分けてやがて鳴き立てることだろう、この高円の野は。 |