すみれ・つほすみれ
スミレ・タチツボスミレ 須美礼 都保須美礼
春の野に すみれ摘みにと 来し我そ 野をなつかしみ 一夜寝にける 巻8−1424 山部赤人 山吹の 咲きたる野辺の つほすみれ この春の雨に 盛りなりけり 巻8−1444 高田女王 茅花抜く 淺茅が原の つほすみれ 今盛りなり 我が恋ふらくは 巻8−1449 大伴田村大嬢 … 春の野に すみれを摘むと 白たへの 袖折り返し 紅の … 長歌 巻17−3973 大伴池主 スミレ スミレ科 スミレの仲間は多く、その数50種くらいあるという。一つ一つの名前とその区別がつかないので、まとめてスミレと言ってきたが、総称としてのスミレの中の一種にスミレというのがあるから、どちらのことを言っているのか注意しないといけない。 スミレの名の由来は、大工道具の一つで、材木に直線を引くために使う墨入れ(墨壺・壺墨入れとも)にあると言われている。親父が趣味でやっていた大工仕事の道具の中にこれがあったが、スミレの花のどこがこれに似ているのかわからなかった。 この墨入れが縮まってスミレになったらしいが、スミレもツボスミレもさらにタチツボスミレというのもそれぞれ独立した種として名前が与えられている。 スミレの仲間には、茎の立たない無茎種と茎が2・30cmも立つ有茎種の2つのグループがある。前者の代表がスミレで、後者の代表がタチツボスミレ。どこででも見られる。 萬葉集には「すみれ」として2首、「つぼすみれ」として2首詠まれている。「すみれ」が現在名のスミレ。「つぼすみれ」が現在名のタチツボスミレとも言われているがさてどうだろう。スミレの仲間の総称として詠まれたのかもしれない。 1424の歌意は、春の野にすみれを摘もうと思ってやってきたが、あまりの美しさに心惹かれてとうとう一夜を明かしてしまった。 まさか野宿をしたのではないだろう、目当てとする宿で一夜過ごしたのではないかと解釈する向きもあるが、ここは多くの叙景歌を詠っている自然派歌人山部赤人のこと、文字通り解釈したい。牧野富太郎は、「かくも強くスミレに愛着を感ずる人は世間にあまり見受けぬであろうが…この位の愛を持たねばスミレを楽しむ人もあまり大きな顔をするわけにはいくまい」 赤人を持ち上げている。 スミレは食用とされ、春の摘菜の代表的な花であった。 (写真上:タチツボスミレ・柏市 写真下:オオバタチツボスミレ・尾瀬大江川湿原) |