七福神巡り


新宿山手七福神


2014.1.3歩く

新宿山手七福神 

 新宿山手七福神は昭和の初め頃に開設された都心の七
福神。いずれも大きな通りに面しているので分かりやす
い。それぞれの近くには地下鉄の駅があるので、いざと
いうときにも安心だ。
 ご朱印は9時から17時まで年間を通して受けられる。
但し厳島神社での受付は1月7日まで。8日以降は近く
の西向天神社で頂くことになる。色紙、ご朱印、宝船、
ご尊像、案内図はそれぞれのところで用意されている。


JR中央線飯田橋駅(7分)善国寺(25分)経王寺(20分)厳島神社(3分)法善寺(4分)永福寺(14分)稲荷鬼王神社(25分)太宗寺(2分)地下鉄丸の内線新宿御苑前駅(または15分)JR新宿駅  徒歩1時間53分

神楽坂
 JR飯田橋駅西口を出て北へ向うとやや急な坂道がる。これが神楽坂。この辺り一帯古く奈良時代から牧場があり牛が多く飼われていたようで、それで牛込という地名が付いた。
 寛政4年(1792)善国寺がこの地に移転してからは門前町として栄え、明治に入ってからは山手一の繁華街となった。
 神楽坂下から様々な店が並ぶ坂を上がりきった左に善国寺がある。反対側、通りを入って行くと石畳道の料亭街。  

毘沙門天
善国寺 新宿区神楽坂5-36
 鎮護山善国寺という日蓮宗のお寺。文禄4年(1595)の創建。徳川家康の江戸城入りのときに、日惺上人が毘沙門像を祀って天下大安の祈願をしたが始まりで、以来徳川本家を始め御三家の祈願所となった。初め馬喰町に建てられたが、寛政4年(1792)の火事で現在地に移ってきた。
 毘沙門天は、北方を守る多聞天とも呼ばれ、知恵や力など10種のご利益があるというので、神楽坂の毘沙門様と呼ばれて市民に親しまれてきた。

大黒天
経王寺 新宿区原町1-14

 善国寺を出て少し先の神楽坂上の交差点を左へ大久保通りを進んで、外苑東通りを渡ったところに大乗山経王寺がある。ここには室町時代の作と伝える火伏せ大黒という福徳の神大黒天が祀られている。
 ここでは熱いお茶とちょっとしたお菓子、ミカンの接待を受けた。寒いときの熱いお茶は生き返った心地がする。    

弁財天
厳島神社 新宿区余丁町8-5

 大久保通りの先、若松町の交差点を左折、次の抜弁天の交差点の左手前に厳島神社があり、弁財天が祀られている。
 後三年の役のとき、奥州平定に向った源義家がここから遥か西方の厳島神社に戦勝を祈願をし、無事平定した帰途お礼に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えている。抜弁天というのは、神社の境内が南北に通り抜けできるところから地元の人々に呼ばれていたらしい。  

 厳島神社でのご朱印は正月7日まで。8日以降は近くの新宿中学校の北隣にある西向天神社で頂くことになる。

 この日は七福神の生演奏が行われていた。奏でる曲は炭鉱節他(笑)。 チンドンチンドン、華やかなのはお正月らしいのですが。  

寿老人
法善寺 新宿区新宿6-20-16

   抜弁天の交差点を西へ渡り、すぐ南のまねき通りを100mほど南に下ると右手に春時山法善寺がある。
 日蓮宗のお寺で、ここにはやはり長寿の神である寿老人が祀られている。
 なお、ここには日護上人(1580〜1649)の作と伝える像高30Cmほどの七面明神像(区指定文化財)が祀られている。七面明神は、山梨県身延山の北にある七面山の女神。  

福禄寿
永福寺 新宿区新宿7-11-2

 抜弁天の交差点まで戻り、交差点を渡るとすぐ左にある。
 大久保山永福寺という曹洞宗のお寺。境内の一角、本堂に向かい合って小さな祠があり、長寿の神である福禄寿はここに祀られている。   

恵比寿神
稲荷鬼王神社 新宿区歌舞伎町2-17-5

 永福寺から西へ抜弁天通りを進み、明治通りを渡って次の鬼王神社前の信号を左に入るとすぐ左手に稲荷鬼王神社がある。
 承応2年(1653)戸塚の諏訪神社の福瑳稲荷を勧請したもので、祭神は宇賀能御魂命。本殿前左手に恵比寿神社がありここに商売繁盛の神、恵比寿神が祀られている。  

布袋和尚
太宗寺 新宿区新宿2-9-2

 七福神最後の太宗寺へは明治通りまで戻り、ここを南下する。新宿5丁目東交差点で靖国通りを渡り、次の花園通りを左に入ると程無く右手に新宿公園がある。これを南に回りこむと洒落た建物の本堂が目に付く。
 霞関山太宗寺という浄土宗のお寺。慶長年間(1596〜1615)に太宗という僧侶が甲州街道沿いに庵を構えたのが最初で、その後高遠藩主内藤家の信頼を得、当時の藩主正勝から広大な寺領の寄進を受けて太宗寺にしたという。  

不動堂
 福徳円満の神とされる布袋尊は境内の一角にある不動堂に安置されている。 七福神の中でこの布袋尊だけは実在の人物、中国の禅僧をモデルにしているといわれている。
 なお、ここには三日月不動像が安置されているが、この不動像、高尾山に奉納するために運んでいたところ、この地に来たところで立ち止まって動かなくなったという。そこでここに不動堂を建てて像を安置したと伝えられている。  

内藤家墓所
 境内墓地にある内藤家の墓所。3つの法篋印塔があり、中央が内藤正勝の墓。かつては300坪の墓地に57基の墓があったが、区画整理によりここに改葬された。
 また、境内には江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像がある。

 無事お参りを終えてすぐ南の新宿通りへ出たところが地下鉄丸の内線の新宿御苑駅。そのまま15分ほど西へ進むとJR新宿駅に着く。  




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