七福神巡り


柴又七福神


(1996.1.2・2000.1.1) 2017.1.3歩く

柴又七福神 170103


 柴又七福神は、高砂駅近くの観蔵寺の他は柴又帝釈天の近くに
集中しているので分かりやすい。参拝したのは3日だったが、帝
釈天(題経寺)以外は比較的静か。流石に帝釈天は大勢の参拝客
で、参道も身動き自由ならず。吊物の団子も我慢しました。

京成高砂駅(3分)観蔵寺(30分)医王寺(3分)宝生院(10分)万福寺(5分)題経寺(1分)真勝院(8分)良観院(8分)柴又駅、又は(20分)JR常磐線金町駅
    徒歩1時間20分

高砂駅前  
 京成高砂駅の北口を出ると駅頭に柴又七福神の立標識がある。七福神最初の観蔵寺への方向を示すもので、標識に従って住宅街の中の道を縫うようにしばらく行くと観蔵寺がある。

 柴又七福神のうち観蔵寺だけが少し離れており観蔵寺にお参りした後はまたここまで戻ってくるようになる。  

観蔵寺・寿老神  
 東京都葛飾区高砂5*5*2

 観蔵寺は、金亀山神宮院観蔵寺という真言宗豊山派のお寺。文明元(1469)年、僧空性坊の開基と伝える。その後国府台の合戦の折り焼失して荒廃したが、承応2(1653)年隆敬法印によって再興されたと伝えられている。本尊は観世音菩薩。本堂は大正3年の再建で、昭和38年に修築されている。
 七福神は寿老神を祀る。  

寿老人
 厨子の中は暗くてよく分からなかったが、通常巻物をくくり付けた杖と団扇を持ち、頭の長い白い髭の姿がよく知られている。桃を持ったり鹿を連れているものもある。団扇は難を払い、巻物や桃、鹿は長寿の象徴。中国の神で、延命長寿の神として信仰されている。

 お参りがすんだら元の道を駅前まで戻る。駅の先のバス道を左折し、次の高砂8丁目の交差点を右折して京成金町線の踏切を渡り暫く道なりに進む。北総線の高架を潜って次の柴又5丁目の交差点を左折。新柴又駅前(下)の道を右へ行くと駅の先に医王寺がある。  

医王寺・恵比寿天
 東京都葛飾区柴又5*13*6

 医王寺は、薬王山瑠璃光院医王寺という真言宗豊山派のお寺。応永14(1407)年、仁和寺の観見により創建されたと伝えるが、ここも戦火に見舞われ焼失した。天文7(1538)年源珍(げんしん)により中興されたと伝える。

医王寺本堂 
 本尊は薬師瑠璃光如来。前立本尊薬師如来。衆生の病苦を救う仏で、創建当時流行していた赤目病平癒を祈願するため時の将軍足利義満が後小松天皇に上奏して建立したと伝えられている。  

恵比寿天
 七福神で唯一日本の神様である。右手に釣竿を持ち、左手に釣り上げた大きな吉祥の鯛を持つ。恵比寿顔と言われるにこやかな笑顔で親しまれている。もとは海運・漁業の神であったが、今では商売繁盛・福徳円満の神として信仰されている。


 医王寺から少し戻り、北総線を潜り反対側に出る。右手にある鈴木医院の横の通を北に向かうとすぐ先に宝生院がある。    

宝生院・大黒天
 東京都葛飾区柴又5-9-18

 大黒山宝生院という真言宗智山派のお寺。寛永元(1624)年江戸京橋に創建されたのち谷中を経て池之端に移建されたが、大正12年の関東大震災で焼失。昭和2年に現在地に移建された。
 七福神は大きな袋を背負い、右手に打出小槌を持ち、米俵の上に乗る大黒天。元は戦闘の神で、三面六臂の忿怒形であったが、一説に飲食を司る神ともいわれ、これが日本化され大国主命と習合して今のような形となり、有福の神として信仰されるようになった。    

万福寺・福禄寿
 東京都葛飾区柴又6-17-20

 宝生院を出て北へ230m。突き当りを左へ100mで右に入るとすぐ先に万福寺がある。
 聖閣山万福寺という曹洞宗のお寺。本尊は毘沙門天立像。創建は比較的新しく昭和3年8月という。これはこの地から人骨数体が発掘されたため、地元の人びとの要望に基づいて建てられたという。
 柴又七福神は福禄寿。福禄寿は中国の神で、福(幸福)、禄(高禄・身分)、寿(長寿)を神格化したもの。
 万福寺からは北へ120mほどで題経寺。ここまで来るとさすがに参拝客が多い。   

題経寺・毘沙門天
 東京都葛飾区柴又7-10-3

 経栄山題経寺という日蓮宗のお寺。寛永6(1629)年に日栄上人によって開基された。本尊は長さ二尺五寸、 幅一尺五寸、厚さ五分の板に片面は日蓮聖人の真刻で、病即消滅本尊の形木、片面は帝釈天王の像が彫られた板本尊。江戸中期一時寺が荒廃し、本尊も所在上明であったが、第九代亨貞院日敬が復興を計った折、安永8(1779)年改修中の本堂梁上からこの板本尊が見付かったという。この日が庚申の日であったことから、庚申の日を縁日とした。   

 題経寺というより柴又帝釈天として知られている。特に映画寅さんシリーズヒット以来1年を通して参拝客で賑わっている。
 柴又七福神は毘沙門天を祀る。
 毘沙門天は、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神多聞天であるが、独尊として信仰の対象とするときは毘沙門天と言っている。日本では独自の信仰対象として七福神の一尊としても数えている。右手に財福を生む宝棒を持ち、左手には除災招福の宝塔を持っており、福の神として信仰を集めている。

 題経寺を出て右へ行き、すぐ左折すると右手に真勝院があるが、この通り屋台が並び混雑しているので、入口を見落とさないように注意しなければならない。     

真勝院・弁財天
 葛飾区柴又7*5*28

 石照山真勝院真光寺という真言宗豊山派のお寺。創建は大同元(806)年と伝えられる古刹であるが、詳しいことは分かっていない。当寺も天文7(1538)年の国府台合戦をはじめとする度重なる火災や震災に見舞われ、焼失・再建を繰り返してきたという。現在の本堂は昭和47年に新築されたもの。
 本尊は上動明王。柴又七福神は弁財天を祀る。     

弁財天
 弁財天は、古代インドを流れていた河の神で、インド吊サラスヴァーティーという。サラスは「水《を意味し、それに言葉(弁)の神であるヴァーチュとが一緒になって、弁舌、学芸、智恵の女神弁才天となった。
 厨子に入った弁才天像には幾本かの手が見えるが、弁才天は一面八臂で、その8本の手で人々を惑わすものを排除し、病苦から救い、智恵・財宝・延命を授けるという。
 七福神中唯一の女神で、弁舌、学芸、智恵の神として多くの信仰を集めている。     

五智如来石像
 門を入って本堂に向かう右手にある。密教では大日如来の知恵を5つに分けて、これに5仏をあてて五智如来と言っている。向かって右から阿閦如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、上空成就如来。真言の行者は、発心修行の結果この五智が得られると言われている。
 この像は、万治元(1660)年柴又村の吊主済藤次郎衛門らが生前に自分の死後の冥福を祈って建てたものという。葛飾区の指定有形文化財。

 真勝院を出て右へ。京成金町線と並行する柴又街道に出て北へ進むと左手に良観寺が見える。門前の踏切を電車に注意しながら渡る。   

良観寺・宝袋尊
 葛飾区柴又3-33-13

 弘誓山観音院良観寺という真言宗豊山派のお寺。創建年代は詳らかでないが、室町末期の頃に念仏堂として建立されたらしい。明暦元(1655)年の棟札に両観寺とあり、さらに寛政7(1795)年本堂再建の棟札には了観寺とあるので、その後良観寺と改吊されたと思われる。本尊は聖観世音菩薩。
  本堂前に大きな石造の願掛け布袋尊像がある。願い事を一心に念じながらお腹を両手で時計回りに3回なでると願いがかなうという。思わず自分のお腹と見比べてしまった。   

 良観寺では柴又七福神は布袋尊を祀る。笑顔で大きなお腹を出している愛敬のある姿で知られ、親しまれている。常に大きな袋を背負っているので布袋尊と言われているが、ここは宝袋尊となっている。中国の実在の僧だったと言われている。和合成功、福富の神として信仰を集めている。
 最後にここにしかないという七福即生の土鈴のお守りを買って帰った。

帰りは戻って柴又駅まで5~6分だが、前の柴又街道を真直ぐ北へ向かって金町まで歩いても20分ほどだ。     

付近の見所
 寅さん記念館、山田洋次ミュージアム、山本亭
 時間に余裕があればこれらを見るのもよし、矢切の渡しから野菊の墓を経由して松戸へ出るのも良い。     




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