七福神巡り
亀戸七福神
2020.1.3
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亀戸七福神は、明治時代終わり頃の開設というから、東京でも比較的古い方。先の大戦で一時中断されていたが、昭和53年に復活された。 当七福神は、恵比寿神と大国神が同じ香取神社に祀られているので、2社4寺院を巡ることになる。順路は東武亀戸線亀戸水神駅をスタートし、常光寺を経て、最後は龍眼寺からJR・東武亀戸駅に出るのも良いしその逆コースでも良い。 色紙授与 各社寺とも 1日〜7日 9:00〜16:30 巡拝コース 東武鉄道亀戸線亀戸水神駅(4分)亀戸水神(4分)常光寺(7分)東覚寺(4分)香取神社(7分)普門院(14分)天祖神社(4府)龍眼寺(8分)亀戸天神(19分)JR・東武亀戸駅 所要時間1時間10分 |
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東武鉄道亀戸線亀戸水神駅 駅を出てすぐ左へ踏切を渡り真直ぐ道なりに進むと正面に亀戸水神宮が見えてくる。 |
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亀戸水神宮 創立年月は不詳であるが、「東京亀戸水神宮再建のあゆみ」によれば、この辺りが開発されたのは享禄年間(1528〜32)と伝えられており、その頃堤の上に水神を勧請して洪水の災いが無いようにと願って建立されたのではないかと言われている。 常光寺へはこの右手の道を行く。 |
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途中の蔵前橋通りを歩道橋で渡り、真直ぐ100mほど進むと右手に常光寺がある。
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常光寺・寿老人 亀戸4―48―3 西帰山常光寺という曹洞宗のお寺。創建は天平9(737)年というから相当の古寺だが、青空に弧を描く本堂の屋根はなかなか洒落ていて、お寺の建物とは思えない。 本尊は阿弥陀如来坐像。これは行基が一夜のうちに1本の木から6体の阿弥陀像を彫った内の一つ。他の5体も江戸市中の5寺に安置されており、江戸中期からこの6阿弥陀を巡る「江戸六阿弥陀巡礼」が大流行したという。常光寺は6番目の霊場。 |
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寿老人は本堂前(向かって左手前)の寿老堂に安置されている。
常光寺を出て、前の道を右(西)へ300mほど進むと左に東覚寺の墓地が見えてくる。この先を左へ塀に沿って回り込むと東覚寺の山門がある。 |
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東覚寺・弁財天 亀戸4―24−1 法号山東覚寺という真言宗智山派のお寺。享禄4(1531)年、玄覚法印の創建と伝える。明治34年に深川本村町の法号山覚王寺と合併したという。 本尊は大日如来。境内にある不動堂の不動明王は良弁僧正の作で、盗難除け不動尊として信仰を集めている。亀戸七福神の他、府内八十八ヶ所霊場73番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場75番札所となっている。 |
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境内に入ってすぐ右に弁天堂があり、七福神の弁財天が祀られている。
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明治通り 東覚寺を出て右へ向かうとすぐに明治通りに出る。すぐ右(北)手にある歩道橋を渡ると次の香取神社は目の前。 |
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香取神社には、七福神の内恵比寿神と大国神の2神が祀られている。
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香取神社・恵比寿神、大国神 亀戸3―57―22 香取神社の創建は古く、天智天皇4(665)年、藤原鎌足が東国下向の際、ここに立ち寄り、香取大神を勧請して太刀一振を納め、旅の安泰を祈願したのが始まりとされている。 祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)。相殿に武甕槌神(たけみかづち)と大已貴神(おおなむじ)を祀る。 天慶の昔、平将門が乱を起した際、追討使俵藤太秀郷も当社に戦勝を祈願して戦いに臨み、見事勝利を納めたという。この時感謝の意を込めて勝矢を奉納したが、これが起源となって毎年5月5日に勝矢祭が行われるようになったという。 境内に恵比寿神と大国神を祀る社がある。 |
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次の普門院へは、境内を出て右へ50mほど行き、住宅地の中の一方通行の道をスカイツリーを正面に見ながら進む。 突き当りが光明寺と普門院の森。ここを左へ100m足らずで普門寺の山門がある。 |
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普門院・毘沙門天 亀戸3―43―3 福聚山善應寺と号す真言宗の寺院。開山長賢、開基は千葉中務大輔自胤で、初め大永2(1522)年、三股(現在の北千住辺り)に創建されたが、元和2(1616)年に現在地に移建された。なお、この時梵鐘を舟で運ばんと隅田川を渡っていたが、誤って水中に落としてしまい、引き揚げることができなかった。その場所が鐘ヶ淵という。 本尊は大日如来。亀戸七福神は毘沙門天を祀る。 境内には、歌人で小説野菊の墓(映画では野菊の如き君なりき)の作者伊藤左千夫の墓がある。 |
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毘沙門堂 境内の左手に毘沙門堂があり、七福神の毘沙門天が祀られている。 |
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次の天祖神社へは、来た道を北に進み、一旦浅草通りに出る。側を流れる北十間川に沿って西へ300mほどで左に天祖神社がある。案内看板に従って左へ入ると神社の入り口がある。
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天祖神社・福禄寿 亀戸3―38―35 創建は古く推古天皇の時代と伝えられるが、度重なる洪水や震災で古い記録は失われていて、詳しいことは分からないらしい。現在の社殿は鉄筋コンクリート造で、昭和4年に建てられたもの。 祭神は天照大神。七福神は福禄寿を祀る。 当社は柳島総鎮守とあることからも分かるように、当時この辺りは幾つかの島であったものが陸続きになって今のようになったらしい。その名残が、亀島(亀戸のもととなった)・柳島・向島・大島・京島等の地名として残っている。 |
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境内にある祠に七福神の福禄寿を祀る。 最後の布袋尊を祀る龍眼寺へは、天祖神社を出て正面の道を南へ100mほど行き、2つ目の角を右へ100mあまり行くと右手にある。 |
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龍眼寺(萩寺)・布袋尊 亀戸3―34―2 慈雲山無量院龍眼寺という天台宗のお寺。創建は応永2(1395)年で、澤良和尚の開基と伝えられている。 本尊は聖観世音菩薩で、厄除・眼病平癒の観音様として信仰を集めてきた。また当寺は、元禄時代に中興元珍大和尚が全国から数十種類の萩を集めて植栽し、その数も数千株に達したことから、萩の寺として知られるようになった。『江戸名所図会』にも載せられたことから多くの文人墨客も訪れたという。 |
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七福神の最後は布袋尊。満面の笑みで迎えてくれる。
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ご利益は万両、千両。もの大金?
七福神巡りを終えた後は亀戸駅に戻るが、途中亀戸天神があるのでお参りして行こう。龍眼寺を出て横十間川に沿って南へ250mほど行くと左に長寿禅師がある。その先の路地を左に入るとすぐ先が亀戸天神。 |
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亀戸天神社 創建は寛文2(1662)年で、祭神は学問の神様として知られる菅原道真。境内には社殿、回廊、心字池、太鼓橋などが配置されており、梅は勿論、藤の花などが多く植えられている。特に藤の頃は見事で、新東京百景にも選ばれている。 この日は初詣者でにぎわったが、受験シーズンが目前とあって学生の参拝者が多く、その列は蔵前橋通りを出て200mほど続いていた。 |
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天神社から蔵前橋通りに出て左(東)へ400mほど行き、亀戸梅屋敷のある4丁目の交差点を右(南)へ400m余りで正面にJR・東武鉄道亀戸駅がある。
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