七福神巡り
佐倉七福神
2016.1.3歩く
佐倉七福神は、城下町佐倉の1社6寺を巡る。平成14年に |
京成佐倉駅(15分)嶺南寺(1分)甚大寺(1分)宗圓寺(11分)松林寺(7分)妙隆寺(17分)麻賀多神社(13分)大聖院(20分)JR佐倉駅 徒歩1時間25分 |
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弁財天 嶺南寺 佐倉市新町74 京成佐倉駅南口を出て正面の通りの1本左のウエスタン佐倉店の前の道を行く。道はわずかな登り。突き当たったところが旧城下町通り(成田街道)。ここを左へ100mほどで左に入るとすぐ先左に弁財天を祀る嶺南寺がある。 正式寺名は清浄山嶺南寺という曹洞宗のお寺。もとは松本にあったが、寛永19年(1642)当時松本藩主であった堀田正盛が佐倉に移封されたときに移建された。本尊は釈迦牟尼仏。正月だけ開帳される弁財天は一面八臂の珍しいもの。 |
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毘沙門天 甚大寺 佐倉市新町78−1 嶺南寺の北50mのところにある。 正式名は安城山不矜院甚大寺という天台宗のお寺。佐倉藩主堀田家の菩提寺で、当寺ももと山形にあったが、堀田正俊系5代正亮が延享3年(1746)佐倉に国替になった時移建されたという。本尊は十一面観音菩薩。他に金毘羅像、不動明王などが祀られていて、毎月10日の金比羅権現の縁日には多くの参詣者で賑わう。 |
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堀田家墓所 甚大寺の境内南側にある。甚大寺を出て次の宗圓寺との間に入り口がある。 正俊系堀田家の墓所で、初代堀田正俊(堀田宗家正盛の三男)の他、正睦、正倫など歴代藩主が眠っている。県指定史跡。 |
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寿老人 宗圓寺 佐倉市新町89 元来た道を戻ると、嶺南寺の向かいが宗圓寺。 正覺山宗圓寺と言う臨済宗妙心寺派のお寺で、本尊は観世音菩薩。寛永16年(1639)に松本藩主堀田正盛が19歳で卒去した正盛の弟堀田安利の冥福を祈って建立下お寺。当初松本に建てられたが、寛永19年(1642)正盛が佐倉に移封されたときに移建された。 |
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毘沙門天 松林寺 佐倉市弥勒町93−1 宗圓寺からさらにもと来た道を戻り成田街道に出ると左に進む。城下町特有の鉤型に折れた道を右・左と進む。やがて左へ裁判所への道を行くと裁判所の向かいに松林寺がある。 正式寺名は玉宝山清光院松林寺という浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来。寛永年間(1624年〜1644年)に当時の佐倉藩主土井利勝の開基により、照誉了学を開山として創建したと伝えられている。 七福神は、甚大寺と同じ毘沙門天を祀る。 |
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大黒天 妙隆寺 佐倉市鏑木町188 松林寺から三度成田街道に出て元来た道を戻る。最初の角を右に折れないで そのまま進み、すぐ左に入るとすぐ先に妙隆寺の静かな参道がある。 正式寺名は久栄山妙隆寺という身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のお寺。文明3年(1471)4月に本山本土寺(松戸)の9世妙高院日意上人によって開創されたという。初め佐倉城大手門の近くにあったが、宝永年間(1704〜1710)に当地に移建された。現在の本堂は昭和63年に建てられたもの。 七福神は、大黒天を本堂に安置する。なお大黒天も当寺と大聖院の2か所にある。 |
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恵比寿・福禄寿 麻賀多神社 佐倉市鏑木町933 妙隆寺から成田街道に戻っておはやし館や市立美術館の並ぶ通りを西に進むと突き当りが麻賀多神社。 神社の創建は明らかではないが、延喜式に記載されている古社である。祭神は稚産霊命。土井利勝が佐倉城を築居て以来、城地鎮護・佐倉藩総鎮守として代々崇敬を集めてきたという。現在の社殿は天保14年(1843)に堀田正睦が建て替えたもの。 七福神は、境内社の疱瘡神社に恵比寿、三峰神社に福禄寿が祀られている。 |
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武家屋敷 麻賀多神社の前の道を南下する。道なりに左に折れ、すぐ先を右に折れて閑静な住宅街を行くと右に鏑木小路。その先に3棟の質素な武家屋敷が並んでいる。 300石取り以上の藩士が住んだ大屋敷(旧河原家)、中級藩士の住居(旧但馬家)、100石未満の藩士の住居(旧武居家)と、それぞれ身分に応じての屋敷の構え・間取りなどが見られて興味深い。 |
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大黒天・布袋尊 大聖院 佐倉市鏑木町661−1 武家屋敷を過ぎた通りの西端に大聖院がある。 正式には大和田山大聖院明王寺という真言宗豊山派のお寺。創建年代ははっきりしないが、鎌倉時代の創建と伝えられる。本尊は大日如来(佐倉市指定文化財)。 七福神は、ここも大黒天と布袋尊が祀られている。大黒天は本堂内に安置されているが、秘仏のため拝観は出来ない。 |
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JR佐倉駅前彫刻通り 武家屋敷の前の道を戻り、突き当りを来た道とは反対に右へ薬師坂を降りていく。下りきって交差点を直進すると彫刻通り。正面がJR佐倉駅である。 |