高 畑 山

  
 北に桂川、南に秋山川に挟まれて、東の高柄山から西の九鬼山までおよそ40qにわたって1000mに少し欠ける小さな山がいくつか連なる。道志山塊といっている。中央線の駅から直接登れるので、秋から新緑の頃にかけて日帰りの山として人気がある。
 足を痛めていたのでしばらく遠退いていたが、いつまでも指をくわえているわけにもいかず、様子見を兼ねて久し振りに歩こうということになった。  

 鳥沢駅を出た正面が甲州街道。これを右に折れ、東京方面に戻るように進む。ここはかっての鳥沢宿だったところで、街道沿いの古い建物にそんな雰囲気が残っている。

 「たけのり入り口」のバス停から甲州街道と分かれて右に折れ、中央線の踏切を渡って堀の内の集落の中の道を桂川に向かって降りていく。道は狭いが一部拡張工事が行われていた。
 桂川に架かる虹吹橋は立派な橋で川面からずいぶんの高さがある。ここから西方に小金沢連嶺だろうか真っ青な空にスカイラインが美しい。紅葉には少し早かったが、見下ろす桂川もう少しで素晴らしい紅葉が楽しめるに違いない。

 虹吹橋で桂川を渡ったこちら側は小篠の集落。ここも以前来たときは工事中であったが、今は広い立派な道が完成していた。どこへ通じる道路だろうか。
 集落の中の道は相変わらず狭く、右に左に折れていく。家々の庭先には秋の名残の花が咲き、柿が色づいて長閑な山里の風景が展開する。集落の尽きるところに「山の神神社」の額を掲げた鳥居と小さな石祠が二つ並んでいた。ここで登山の安全をお祈りして山道に入るとすぐに小篠貯水池の堰堤が現われた。



 堰堤の上に腰を下ろし一息ついた。来し方を振り返ると桂川の谷を挟んで鳥沢の宿の上に扇を開いたような形で扇山がでんと控えていた。その麓を中央線と中央高速道が走る。

 ここまで来る道は右に折れ左に折れて複雑だが、なに心配することは無い。角々に標識が取り付けられていて迷うことは無い。が、その標識、これから登る山の名前がすべて高畑山になっている。当然と言えば当然なのだが、オールドハイカーにとってはちょっと引っかかるものがある。
 なぜなら古いガイドブックはすべて高畑倉山となっていた。地元の標識もそうだった。もちろん私もそう思い込んでいて、当時使っていた山名の記載の無い黒刷りの5万分の1の地図にもしっかりと高畑倉山と記入しておいた。それがいつから高畑山になったのだろうか。

今手許にある古いガイドブックを開いてみた。
大正12年 河田驍フ「1日2日山の旅」は高畠鞍岳。
昭和 5年 高畑棟材の「山を行く」では高畑鞍岳。
昭和 6年 河田・高畑共著の「東京付近の山々」ではこれを測量櫓の標識に基づき楢山と訂正し、楢山は秋山川の名称で、クヌギザスという一名もあり、北に接続する端山へかけて一帯を高畑山(高畑鞍岳ではない)といふている、との説明を加えている。
昭和13年に刊行された尾崎喜八の「雲と草原」の中の「秋山川上流の旅」で、この山を楢山と紹介しているのはこれによるのだろう。

 戦後の朋文堂のマウンテンガイドブックシリーズや、山と渓谷社の登山地図帳など昭和40年代頃までは高畑倉山で、一部高畑山もあり混乱した。
 昭和62年9月号の新ハイキング誌に、この山が高畑倉山と呼ばれるようになったいきさつが紹介されていた。それによると、大正8年に創立された霧の旅会のメンバーが地元の人から高畑山と倉岳山の両方の意味で高畑倉岳と聞いたのを一つの山名と解したもの、としている。
 これで決着がついたのか、その後のガイドブックは高畑山で統一されているし、地元の標識も替えられるようになった。今の2万5000分の1図には高畑山と明記されている。以前高畑倉山から高畑山に書き換えられた経緯を地元大月市に確認のメールを出したが返事はいただけなかった。

 今年(平成17年)日本山岳会100周年記念に刊行された「新日本山岳誌」では高畑山、別名楢山、不死峰としている。不死峰は甲斐国志に紹介されている。
 いずれにしても山名は地元によって違う名前で呼ばれることが多いので混乱する。高畑は焼畑の行われていたところとして呼ばれることが多いし、楢山やクヌギざスは秋山川側で生業にしていた炭焼きの炭材を求めていた山として呼ばれていたのではないだろうか。
山の中をぽくぽく歩きながらこんなことを思うのも楽しい。

 その高畑山へは小篠沢沿いの道を行く。これは高畑山と倉岳山の間にある穴路峠を越えて秋山村無生野に通じる峠道だ。途中石仏のあるところから峠道と分かれ、右へ山腹を絡んでいく。
戦後しばらくの間この山腹に高畑仙人が住んでいて登山者にも人気があったという。私がはじめて訪れたときには崩れかけた小さな掘っ立て小屋があり、中には茶碗などが2.3転がっていたのを記憶しているが、今は辺りの様子もすっかり変わっていて痕跡も無いが、地名だけ残っている。

 ここからは山頂から派生する支尾根に向かってほとんど直登に近い急な登り。尾根に出たら山頂が近く、頂上でくつろぐ人の声が聞こえてきた。頂上にたどり着くといきなり正面に富士山の美しい姿が現われた。ここから見る富士は大月市が選んだ「秀麗富岳十二景」の一つに選ばれているだけあってさすがに素晴らしい。



 頂上は狭く、20人ほどの先着の登山者でほぼ一杯になっていた。私たちは端の方に空地を見つけて腰を下ろしお昼にした。この場所からは富士の姿は隠れるが、萩の花に囲まれ落ち着ける。先ずは大事に持ってきた1缶の缶ビールで乾杯。至福の一時だ。
 食後のコーヒーを淹れる頃には頂上も静かになった。ゆっくりと香りを楽しんだ後、私たちも下山に掛かった。

 下りは尾根通しに穴路峠に行く。小さい上り下りを何度か繰り返し、ドンと降り立ったところが峠だった。この峠、小さいながらも峠の雰囲気たっぷりの峠だ。無生野から上ってきていきなり小篠の方へ下っていく。一息ついた後朝方上ってきた小篠の方へ向けて下ることにした。古くからの峠道だけに程好い傾斜で作られ歩きよい。ただやたらに石ころがごろごろしているので足をくねらさないよう気をつけなければならない。

 やがて小篠川の流れが近づいてきて、いくつかの小滝を楽しみながら石仏のところで朝分かれた道に合流した。ここからもとの道を戻り、朝下り立った鳥沢駅のホームについた頃は秋の空は菫色に変わっていき、歩いてきた山の稜線のシルエットが美しかった。
心配した足はやはり下りになって痛み出し、4・5日炎症が治まらなかった。



2005.10.23歩く

高 畑 山 982m 1/25000 上野原 大室山
  JR中央線鳥沢駅(50分)小篠貯水池(30分)峠への分岐(80分)
高畑山(40分)穴路峠(100分)小篠貯水池(50分)鳥沢駅

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