大 岳 山

  
 関東の山で初めて登ったのが大岳山だった。昭和35年に東京転勤となり、立川にあった会社の独身寮に入ったのがきっかけだった。立川から奥多摩は近かった。以来奥多摩の山には足繁く通った。いつの頃からか初詣山行と称して御岳神社にお参りし、大岳山へ向かうのが習慣となっていたが、今回は久し振りに晩秋の大岳山を楽しんでみようと思った。

 行楽シーズンの土曜日とあって途中の電車、バス、ケーブルはいつになく混雑していた。勝手知ったる私たちは乗り継ぎもスムーズに移動し、効率よく御岳山上駅に降り立った。ここまで来るのに既に4時間ほど要している。少しお腹の足しになるものを入れ、身支度を整えて御岳神社に向かった。

 御岳神社への道は初めは水平の舗装された道だが、神社が近づいてくると勾配がややきつくなり、降雪後踏み固められたり凍結すると歩きづらいところだ。参道の両側には宿坊や土産物店が並び、山上集落をなしている。




 御岳神社。社伝によれば、創建は第十代崇神天皇七年と伝えられいる。崇神天皇7年といえば紀元前91年だから古い。が、崇神天皇は日本書紀では120歳、古事記では168歳で崩御したことになっている。またこの前後の天皇も110歳〜140歳となっているので、年代については不詳としておこう。

 中世になって山岳信仰の興隆とともに鎌倉武士の信仰を集め、江戸時代には庶民の御岳講も組織され、御岳詣でが盛んとなって今に続いており、拝殿に続く石段の両側には所狭しと記念碑が建てられている。




 とにかくいつものようにお参りして本日の山行の無事を祈り、大岳山へ向かった。ここから暫くは歩き良い水平道で、左に七代の滝への道、次いで奥の院経由の道を右に分けて色付き始めた木々を楽しみながらのんびり歩いた。

 やがて岩石園の上部で滝からの道を合し、大きくジグザグに切られた左山腹を登ると尾根上に出た。芥場峠とあったが、峠らしからぬ尾根の一角にすぎなかった。ここからは所々露岩の箇所が出てくる。積雪があったり、凍結していると厄介だが、危険なところには鎖も設置されていて慎重に行けば心配することはない。

 2つ目の鉄製の階段を越えると正面に大岳山荘が見え、やがて大岳神社の前に着いた。ここは奥宮で、大国主命、少彦名命、日本武尊の三柱を祀っている。里宮は馬頭刈尾根を南に下った白倉の部落にある。
 神社の横から最後の急坂を登る。頂上近くにもちょっとした岩場があり、文字通り木の根岩角につかまって登った。武田久吉が「明治の山旅」(昭和46年刊)で、明治39年に大岳山を訪ねたときのことを書いているが、その中の「社の左から頂上への急な登路があって、途上に親不知とか髭磨などの難所があるという。」というのはこの場所のことだろうと思った。ここを過ぎるとすぐ頂上だった。

 私たちは頂上を踏むのは後にして、ここに来たら決まって腰を下ろすところへ直行し、まずはお昼にすることにした。ここは頂上からほんの数メートル下の南斜面で、5・6人はゆっくり腰を下ろせる位の静かなテラス。どんなに冷たい北風が吹くときも、背後の山に遮られてここはお構いなし。惜しみなく降り注ぐ陽光は冬でもほかほかと暖かくうっとりと眠気を誘う。 南面が大きく開けているので道志の山越しに富士山が見えるはずだが、今日は雲に隠れているのと、このところ藪が少しうるさくなってきたので展望の方は望めなかった。  この場所、いつ来ても他の登山者に会ったことがなく、私たち専用のテラスだと話し合った。

 まず恒例のプシュー。そしてコンロに火をつけてお湯を沸かした。それを待っていたように何処からともなく7・8羽のヤマガラ、コガラがやってきた。今コンロに掛けたばかりのコッフェルの取っ手に止まるヤマガラもいたのであわてて追い払った。危うく焼き鳥にやるのではないかと思った。わざわざビールのつまみになってくれなくてもこちらはちゃんと用意してあるのだ。そのつまみの霰を砕いて手のひらに乗せるとつぎつぎと咥えていき、近くの枝で盛んに食べていた。 以前頂上でこのようにして餌を与えている人を見たが、それにすっかり慣れてしまったのか、登山者を見ると寄ってくるようになった。可愛いが複雑な気持ちだ。

 食後のんびりとコーヒーを味わってから下山の支度をして頂上に立った。頂上ではまだ大勢の登山者が思い思いに休んでいた。大岳山は1267メートルとさほど高くはないものの、三頭山、御前山と共に奥多摩三山の一つに数えられており、登山者に人気のある山である。
 朝あんなに晴れていたのにいつの間にか雲が多くなっていて遠くの展望は出来ない。晴れていれば富士山を初め素晴らしい展望が得られ、東京湾まで見えるかもしれない。前出の明治の山旅の中でも武田久吉は大岳山からの展望を次ぎように書いている。
「二等三角点があるだけに眺望は極めて広闊。東には常陸の筑波山まで一望の関東平野。やや南には鹿野山、鋸山、富山などの房総の山々。東京湾は盆池のごとく、中を走る汽船の煙まで明らかに見える。」とし、さらに日光の山々まで紹介している。
ここから東京湾の汽船が見えたのだから、当然船からも見えたに違いない。両総地方ではこの山を武蔵の鍋冠山といって海路の目標としていたようだ。確かに遠くから見ると鍋を冠ぶせたように見えるが、私には潜水艦が浮上したように見える。その特徴ある姿は何処からでもすぐそれと分かり、山座同定の指針としている。

 下山は元の道を大岳神社の鳥居まで戻りここから馬頭刈尾根に入った。しばらく気持ちのいい尾根道が続く。尾根はこの先つづら岩を経て馬頭刈山、光明山を起こし北秋川まで続いているが、秋の日は短い。私たちは途中から白倉へ下ることにした。下り口の手前にある見晴らしの良いベンチで最後の休憩を取った。この辺り尾根の西側の木が切り開かれていて見透しが良い。遥か眼下に北秋川沿いの集落が見下ろせる。急な山間の集落で、晴れていてももう日陰になっているのではないだろうか。

 この道は白倉から大岳神社への古くからの参拝道なのだろう、道脇に所々丁目石があった。所々というのは、本来1丁目毎にあったのが崩れて埋まったのかあるいは見落としたのか、半分も確認できなかった。道は深く抉られているところもあり、土留めをしているが、もう少しするとこれが落葉ですっかり埋もれてしまう。うっかり隠れた段差に気付かずに足を下ろすと思わぬ事故を起こしかねない。ここは慎重に下りたい。慎重に下っていたら力が入って疲れた。加齢と共に足腰が弱ってきた。ここは逆コースにして下りにケーブルを使った方が楽だったかもしれない。

 2丁目のところで車道が横切っていた。これを越してしばらくで1丁目の鳥居があった。そしてすぐにもう一度車道に飛び出した。その先に立派な神社があった。大岳神社の里宮で、大国主命、少彦名命、日本武尊、広国押武金日尊と東照宮を祀っている。ここで今日1日の山旅の無事を感謝し、余韻に浸りながらバスの停留所へ急いだ。



2006.11.18歩く

大 岳 山 1267m 1/25000 武蔵御岳 五日市
  JR青梅線御岳駅(バス・徒歩・ケーブル40分)御岳山上駅(30分)御嶽神社(30分)
岩石園上部(20分)芥場峠(40分)大岳神社(15分)大岳山(20分)白倉下山口
(100分)大岳神社里宮(10分)白倉バス停(バス33分)JR五日市線武蔵五日市駅

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