秋山二十六夜山


秋山二十六夜山

  
 相模湖に注ぐ秋山川を遡って行くと、その源に秋山二十六夜山がある。標高972mと1000mに満たない小さな山だが、昔から地元の人に親しまれ、登られていた山である。
 同名の山がもう一つある。秋山二十六夜山から西南に朝日山、菜畑山、今倉山と辿る尾根の西端都留市にあるのがそれで、こちらは1297mと300mほど高い。どちらも26夜の月待ちの山として登られていたのだが、紛らわしいので前に地名をつけて、西の方を道志二十六夜山、東の方を秋山二十六夜山と呼んでいる。




 陽春の1日、陽だまりを求めて私たちは秋山二十六夜山に登った。
 上野原を出たバスは、桂川橋で桂川を渡り、小さな峠を越えた後秋山川に沿って走った。平日とあって乗客も私たちの他には5人。それも途中で降りて最後まで乗っていたのは私たちだけとなった。
 車窓には長閑な山村の風景が展開し、家々の庭先には紅や白の桃や桜をはじめ春の花が今や盛りと咲き競い、目を楽しませてくれた。



 二十六夜山へは幾つかの登路があるが、私たちは浜沢からの路を選んだ。浜沢のバス停で降りようとしたら、運転手が親切にも登山口はもう少し先だからそこで停めるよ、と言って少し走り、入り口のところで降ろしてくれた。
 そう云えばこのあたりは自由乗降区間で、乗るときも合図すれば何処ででも乗せてくれる。
 降りたところはキャンプ場の入り口でもある。いきなり露天風呂やビヤガーデンの看板が飛び込んで来て、食指を動かされるが、もちろん今はシーズンオフ。ひっそりとしている。この先に別荘風の建物が幾つかあるが、こちらも静かだった。



 ここを過ぎるといきなり急な山道が始まった。主脈に通じる支尾根上を直登している。ともすればずり落ちそうな爪先上がりの道で、雪や霜解けでぬかるむと厄介で、逆コースにしなくて良かったと話し合った。
 途中東屋や露岩などがあり、展望もよく一息つくのに良い。
 この春の気象は異常だった。2・3月に暖かい日が続き、時には5月を思わせる陽気もあったかと思うと、4月に降雪をみた。ここも前日に降った雪が、尾根筋の木陰や北の斜面に薄っすらと残っていた。
 ひとしきり登り、道も緩やかになってきたところで道は二股に分かれていた。右の山腹を行くのが朝日山、菜畑山、今倉山を経てもう一つの二十六夜山への道。私たちは左へ尾根道を辿った。

 ゆるやかな登りをしばらく行った後、急な登りで赤鞍ヶ岳へ続く稜線に出た。ここからやや下り気味に行き、最後の一登りをしてようやく山頂の一角に辿り着いた。
 三等三角点のある山頂は縦走路からはずれてほんの少し南へ行ったところにあった。この山も山梨百名山の一つなのか標識がそれを示していた。
 山頂はさほど広くはなかった。周囲は雑木林で、葉の落ちつくしている今は展望は利くものの、新芽が出て葉が生い茂る頃はどうだろう。私たちは少し先の南の斜面に腰を下ろしお昼にした。他に人の登ってくる気配がない。今日1日この山は私たちだけの山になったようだ。なんと贅沢なことか。
 うららかな春の日を浴びて、食後に楽しむ珈琲を淹れるために点けたコンロの単調な音を聞いていると睡魔に襲われそうになる。それともほんの少しだけ喉を潤すために飲んだアルコールが効いてきたのだろうか。至福の一刻だ。
 
 下山は下尾崎への道を選んだ。一旦先ほどの分岐まで戻ると、その先に広場があって、片隅に二十六夜塔があった。ここが山名の由来となった二十六夜の月待ちをしたところだ。

 二十六夜の月待ちとは、陰暦の正月と7月の夜半、月の出を待って拝むと、月の光の中から阿弥陀三尊が現れると言う。人々はこれに餅や米、野菜などをお供えして諸悪を払い、災害から人を守り、養蚕の守護などを祈願したと言う。平安時代から行われており、江戸時代にもっとも盛んになったようだ。
 阿弥陀如来は西方極楽浄土に住する仏で、この仏を信仰すると必ず極楽浄土に往生すると説かれている。

 さらに浄土には上中下品と上中下生の組み合わせで、9種の浄土があり、修業や罪業に応じてそれぞれの浄土に往生すると言われているから、人々は真剣にここで来世の幸せを願ったのかもしれない。

 二十六夜塔の裏面には明治22年7月吉日の日付と麓の11の集落名が記されているところから、近在の人々が語らって、いろんなお供えを持ってここに集まってきたのだろう。そして月待ちの信仰を口実に大宴会が開かれたと思うのは飲兵衛の不遜な想像か。
 なおこの石塔、古いガイドブックを見ると右の台座に乗っていた。何らかの理由で倒れ落ちたものを立て起こしたものの、台座までは乗せられなかったものと思われる。

 ここからの下山路はしっかりした歩きよい道だった。やはりこちらがメインの登下山路だったのだろう。しばらく稜線上の気持ちの良い道を下り、やがて左へジグザグの道を下る。
 小さな山であったが、私たちは十分に満ち足りた気分で、極楽浄土から下界へと降りてきた。

 時間があれば穴路峠を越えて中央線の鳥沢に出ようというのが当初の目論見であったが、今朝方利用した上野原行きのバスがまもなく来るというので、もう一度美しい花の車窓風景を楽しみたくて、あっさりと計画を変更し、車中の人となることにした。

 バス停で一緒になった老婆の話しによると、上野原にバスが開通するまでは、西へ雛鶴トンネルを経て都留市に出ていたという。それ以前は徒歩で穴路峠を越えて鳥沢に出るのが最も速かったそうだ。上野原へのバスが開通し便利になったのだが、最近は若い人は自家用車、学童の登下校も親がマイカーで送り迎えするので、バス利用者はめっきり減ったそうだ。利用者が減るとバスの運行本数も減って不便となり、ますます利用者がなくなるという悪循環を繰り返し、やがて路線廃止となるのだろうか。若者が町に出て、老人ばかりの村で車の運転もできないとなると公共のバスだけが頼りなのだが。この先どうなるのだろう。

 その老婆は途中の町で用を足し、1時間半ほど後の下りのバスで帰ると言って降りていった。私たちは胸中複雑な思いをするものの、こうしてのんびりと車窓の風景を楽しむことができる幸せをかみしめていた。  



2007.4.5歩く

秋山二十六夜山 972m 1/25000 大室山
  JR中央線上野原駅(バス50分)浜沢(35分)東屋(60分)赤鞍ヶ岳分岐
(20分)秋山二十六夜山(70分)下尾崎(バス45分)JR中央線上野原駅

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