倉 岳 山

  
 秋山山系のほぼ中央部にあり、同山系の最高峰。と、日本山岳会編著の「新日本山岳誌」(H17刊)に倉岳山のことをそう紹介してあった。
 私はこれまでこの辺りの山々を道志山塊の山として慣れ親しんできた。古くからのガイドブックもみなそう記しているし、「コンサイス日本山名辞典」にも道志山地に属す、と紹介している。私たちはもう少し範囲を狭めてこの辺りの山を、秋山川を挟んで南に連なる御正体山、菜畑山、赤鞍ヶ岳の山々と区別して前道志の山と呼んでいた。それが秋山山系とあるのを目にして、はて、秋山山系とはどこだろうと考えてしまった。いつからそう呼ぶようになったのだろう。

 倉岳山をはじめこの辺りの山は以前から良く歩かれていたが、標高もさほど高くなく地味な山だけに、一時他の山域に人気を取られていた。しかし、中央線の駅から直接登れて便利が良いところから、中高年者の登山ブームと共に日帰りの山として再び人気を取り戻してきたように思う。





 私たちは、今回も鳥沢駅に降り立ち、高畑山に登った折、下りに利用した穴路峠道を逆にたどり、穴路峠から倉岳山に立とうということになった。  改札を出て身支度を整え、すぐ前の国道20号線を右へ行く。これはかっての甲州街道で、鳥沢はその宿場町。両側に所々残る古い造りの民家は宿場町の雰囲気を伝えている。

 途中、高畑山への小さな標識に導かれて甲州街道と分かれ、中央線の踏切を渡って堀之内の集落の中を桂川に向かって下っていく。桂川に架かる立派な虹吹橋を渡り、対岸に広がる小篠の集落の中をゆるやかに上がっていくと、集落の終わるところ、前方に小篠貯水池が見えてきたところに真赤な神社があった。山の神神社の扁額があったが、神社といっても赤い鳥居と小さな祠があるのみ。ともかく今日1日の山行の無事をお願いしていく。

 小篠貯水池の下を左から回りこんで堰堤上に立った。いつものようにここで一息入れて、お腹の足しになるものも入れることにした。日帰り山行の場合、朝が早いのでお昼までもたず、少し歩いたところであんぱんやドーナツを一つ二つおなかに入れることにしている。

 眼下の鳥沢の町や中央線を挟んで正面に扇山が望めるが、今日は中腹から上は雲に隠れている。前日までの予報では晴れマークもついていたのだが、上空は厚い雲に覆われている。何とか今日1日は持ってもらいたい、と先程の山の神にお願いしておくべきだったと今頃思い出した。我が家の山の神では心許無い。  





 ここからオシノ沢に沿った道を行く。しばらく行くと道は二手に分かれていて分岐に小さな馬頭尊だろうか、があった。右へ山腹を行くのが高畑山へ登る道。左の沢沿いの道を行くとすぐにもう一つ石仏があり、ここでも道は二手に分かれている。左の沢の方へ行く道?は微かな踏み跡程度の道だ。45年ほど前、倉岳山からの下り、道を間違え、途切れがちな踏み跡とあとは感を頼りに下りついたのがこのあたりだったので、あるいはこの道かもしれないと思った。

 峠へは右の道を直進するのだが、登山地図には石仏は一つしか表記していないので、あるいは判断に迷わされるかもしれない。直進する峠への道はなおもゆるやかな歩きよい道だった。かつては峠向こうの秋山村から鳥沢へ生活物資を運ぶ道として良く利用されていたようだ。特にこの辺りの山は炭焼きが盛んでそれを運んでいたようだ。

 尾崎喜八が、昭和の初め「秋山川上流の冬の旅」でこの峠越えをしているが、そのときに炭を運ぶ村の人たちと行き会っている。  「左手の山が大きな影を横たえている寒々とした谷沿いの細道を進むと、峠の方から男が2人炭俵を背負い、長い竹の杖を突いて転がるように下りてくる。・・・何処の者だと訊くと、無生野の者だと云う。峠の雪の様子をたずねると、自分たちの馬がかよっているからもう相当には踏めていると云う。  こういう炭運びの連中には峠までの間に3組ばかり遭った。お爺さんが一俵、お婆さんが二俵という愛想のいい老人夫婦の組もあった。若夫婦が仲良く二俵づつ背負って、賑やかに日当たりの坂道を下りてくるのにも出会った。」

 かつては人馬の往来が頻繁にあったのだろう。今は無生野から中央線の上野原へ、富士急行線の禾生へ道が通じ、バスも通っているので、もう峠越えする人はいない。  これまで歩き良かった沢沿いの道も沢を離れて左の山腹を登るようになった。しばらく急なジグザグを繰り返し、道が水平になったところで峠が近いことを思わせた。ところがこの道、所々ようやく片足が置けるといった程度の幅しかないところがある。うっかりすると斜面を滑り落ちそうだ。こんなところをとても馬が荷物を運んだとは考えられない。一度荒廃した峠道を、今度は登山者のために開き直したのだろう。

 穴路峠にはひょっこり飛び出した。これぞ峠といった、それも可愛い峠だった。右の高畑山と左の倉岳山を結ぶ細い稜線のほぼ中間辺りをスパッと鉈で切り取ったような感じの峠で、峠の語源ともいわれるタワやキレットなど、どれにも当てはまりそうな気がした。峠道はすぐに南側無生野の方へ下っていった。峠の頂上は狭く10人ほどで一杯になりそうだった。折から10人くらいのパーティーが上がってきたので、私たちは場所を譲って峠の少し上の日当たりのよいところで一息つくことにした。

 峠から倉岳山には左の稜線を上がる。しばらくで急な道となり、一旦平坦になるが、再び急坂をよじ登ったところで頂上の一角に登りついた。そこから少しで頂上だった。さほど広くない頂上には既に10人あまりの人たちが、思い思いに弁当を広げていた。私たちも端の方の草叢の上に腰を下ろしお昼にした。何はともあれ冷たいものだ。頂上でのプシューという音はたまらない。これで喉を潤し、次は温かいお湯を沸かし味噌汁代わりのカップうどんとおにぎりにお惣菜が少々。デザートはみかんとコーヒーだ。これでもどんなレストランのランチよりも美味しく感じるから幸せだ。

 頂上は北方と南西方向が少し開かれているほかは樹木に囲まれていて、360度の展望というわけにはいかない。その南西方向には富士山が見えるはずだが今日は厚い雲にさえぎられて残念ながら望めない。ここからの富士山は、大月市が定めた「富嶽十二景」の一つで、その写真が三角点横に掲示してあった。今日のような日はどうぞこの写真を見て我慢してくださいといった親切心だろうか。それともこんな日にまた来て下さいといったセールスだろうか。

 頂上からは南東方向にいきなり急坂を下って立野峠に向かった。小さいながらいくつかの上り下りを繰り返し、立野峠に降り立った。ここも穴路峠同様かわいい峠だ。峠の名前からして秋山村の浜沢から梁川町の立野への道として利用されていたのだろう。今は登山者用に真新しい立派な道標があった。

 ここから南に下れば浜野から上野原へバスが通じているが、午後は2本しかない。北に下れば時間は倍ほどかかるが中央線の梁川駅へ直接出ることが出来る。 私たちは一休みした後立野への道を下ることにした。こちらの道はしっかりした歩きよい道だった。峠からジグザグ道を一気に月夜根沢まで下り、後は沢を何度か渡り返しながら沢沿いの気分のよい道を時折巨木など眺めながら下った。

 再び桂川を渡って、梁川駅には予定通り着いた。早速汗をぬぐい、着替えをして、駅前のお店でよく冷えた缶ビールを仕入れて、今日1日の山行の無事を感謝した。1日持ちこたえてくれた天気も、車中の人となってから降り出したようだ。これも山の神のご加護だったのかもしれない。



2006.10.22歩く

倉 岳 山 990m 1/25000 上野原 大室山
  JR中央線鳥沢駅(50分)小篠貯水池(30分)高畑山分岐(60分)穴路峠
(25分)倉岳山(30分)立野峠(70)車道(20分)JR中央線梁川駅

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