伊豆ヶ岳


伊豆ヶ岳

  


 吾野からバスに揺られて40分程で正丸峠へ。そこから伊豆ヶ岳を目指したのはもう40年以上も前の話。

 吾野が西武鉄道の終点だった頃、正丸峠から伊豆ヶ岳を経て子の権現へ、そして吾野へ戻るコースは、奥武蔵の中でも最も人気の高いコースだった。
昭和44年10月正丸トンネルが完成し、西武秩父線の吾野〜秩父間が開通して正丸駅が出来てからは、正丸駅から直接伊豆ヶ岳を目指すコースが一般ルートとなったようだ。今日は私たちもこのコースを辿ることにした。

 正丸駅を出て右手の階段を下りると車道に出て、これを右へ西武線のガードをくぐりゆるやかに上って行くとやがて大蔵の集落。



 周りの山は緑に輝き、民家の庭先や畑には桜や桃をはじめいろんな花が一斉に開きその美を競っている。花を眺め、カメラに収めながら沢に沿った道を行く。

 集落の中ほどに安産地蔵尊を祭るお堂があった。このお地蔵さん金の胎内佛を持っているということで、安産のお地蔵さんとして古くから信仰を集めてきた。昔の人は懐妊すると仏前の旗をもらってきて腹帯にしたといい、お産で命を落とした人は無いという。

 最後の民家を過ぎ、しばらくで道は二手に分かれていた。右へ続く舗装路は正丸峠へ続く道。私たちは左へ細い流れに沿った山道へ入った。分岐には馬頭観音を安置する小さな祠があった。

 はじめ緩やかな歩き良い道であったが、やがて急な山腹を直登するようになる。木の根岩角を頼りながら、時にはずり落ちそうになるのを慎重に登るが、それもわずかで支尾根に登りつくと道は緩やかになり、気分のいい尾根道となって正丸峠から来る主尾根に合流した。

 伊豆ヶ岳はここから左へわずかだが、行く手を阻むかのように大きな岩壁が立ちはだかっていた。

 この辺りの山域の地層は秩父中・古生層で、ところどころに岩石も露出している。眼前に立ちはだかる大岩壁もその一つで、上から長い鎖がぶら下がっていた。以前はここを男坂といって、本コースのハイライトとして人気があったが、落石の危険があるということで今は通行止めとなっている。鎖に頼るほどの危険な岩場ではないが、落石による事故でもあったのかもしれない。私たちは岩場の下から右へ大きく巻いている女坂を行き頂上に着いた。



 頂上は狭いが、ここだけ突出しているので周囲の展望はすこぶる良かった。眼前に武川岳、その奥に秩父の名山武甲山が頭を覗かせていたが、山肌を削られたその姿は痛々しい。ちょうどお昼になったので、私たちは狭い頂上を避け、少し北寄りの露岩の脇の少し広くなった場所を選んで腰を下ろした。以前ここに茶店があったところだ。

 ところで、伊豆ヶ岳の名の由来はなんだろう。名前からしてここから伊豆半島でも見えるのかなと思ったが、実際には無理のようだ。ここは、神山弘著の「秩父・奥武蔵 山と伝説の旅」の伊豆ヶ岳の山名考を開いてみよう。
 地元では伊豆が見えるから命名したという説。昔西麓の湯ノ沢に温泉が出たところから湯津ヶ岳とする説。野生の柚子が沢山あったところから柚ヶ岳とする説。あるいはアイヌ語説などいろいろ紹介しているが、決め手となるものは無い。
 氏は山岳宗教盛んだった頃の霊山を意味する岳と里人が山容から出(いず)山と呼んでいた名前を合わせて伊豆ヶ岳としたものと説いておられる。私も単純にその突出している山容から見て出(いず)ヶ岳説に一票を入れたい。
 


 さて、登りに花の観賞で時間を費やし予定より1時間ほど遅れての山頂到着だったが、日も長いこともあって子の権現まで足を伸ばすことにした。

 伊豆ヶ岳はどこから見てもそれと分かるほど突出しているだけに下りも急だった。一旦下りすぐに隣の古御岳まで急坂を登り返す。お昼に飲んだ缶ビールがまだ醒めていないので、この下り登りが一番苦しかった。古御岳の頂上にはうまい具合に東屋があったので一息ついた。周りの雰囲気も好ましく、お昼をするのはこちらの方が良かったかもしれない。
 ここから再び急坂を下る。下りきったところから後は緩やかな上り下りを繰り返しながら行く。尾根筋には馬酔木の木が続いていた。

 やがて近くで車の音がしたと思ったら、尾根がすっぽりと切れ落ちて天目指峠に降り着いた。天目指峠というから麓の部落から見て天を目指すほど高いところにある峠という意味かなと思っていたらそうではなかった。峠にあった環境庁の案内板によると「アマメ」とはこの地方の方言でカキノキ科のマメガキのことで、「サス」とは焼畑のことだそうだ。
 豆柿は中国原産の木で、古くに日本に渡来し、柿渋を採るために栽培されていた。シナノガキ・ブドウガキともいわれ、直径1〜1.5センチの果実をつける。霜の降りる頃紫色に熟し食べられるという。
 かつてこの辺りの山林を焼いて畑地とし、この豆柿を栽培していたのでこの地名がつけられたのだろう。
 また一説に鍛冶・製鉄をつかさどる一つ目の神「天目一箇神」からきているとの説もある。(大久根茂「峠 秩父への道」)  

 縦走路は道路を横切ってさらに上り下りを繰り返している。このコース首都圏自然歩道になっていて、良く整備されているので危険なところも無く歩き良い。古くから奥武蔵ハイキングコースの人気NO1だけのことはある。  日も大分西に傾いてきた頃前方木の間隠れに子の権現の建物が見えてきて、一下りで境内の裏に降り立った。  

 子の権現は正式名は、大鱗山天龍寺といい、天台宗の別格本山だ。火防や足腰を守る神として知られ参詣者が多い。本堂前には2トンもあるという鉄製の大草鞋や大きな下駄が奉納されていた。

 実は足の痛みに悩まされている私も何度もお参りしていくのだが、お賽銭が足りないのか一向に良くならない。しかし我慢しながらも山歩きが出来るというのは少しは願いが聞き届けられているのだろうか。

 今日もここまで無事にこられたのを感謝しつつお参りし、最後の下りにかかろう。しばらくは山道の下りだが、子の権現開山の子の聖が山へ入ろうとしたとき、山に放火して入山を阻止しようとした鬼たちが、阻止できなくなり最後に降伏した場所という降魔橋からは舗装された車道歩きとなった。

 最後の舗装歩きははつらいものだが、気の合った仲間と1日の山を振り返り、次の山に思いを馳せていると、疲れ知らずのうちに駅が近付いてきた。予定通り吾野の駅に着き、着替えを済ませて車中の人となったときには、長くなった日もすっかり暮れていた。



2008.4.15歩く

伊豆ヶ岳 850.9m
 1/25000 正丸峠 原市場
  西武鉄道正丸駅(35分)正丸峠分岐・馬頭観音(70分)伊豆ヶ岳(25分)
古御岳(40分)高畑山(45分)天目指峠(50分)子の権現(90分)吾野駅

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