秩父御岳山


秩父御岳山

  


 1723mの両神山から南東に伸びる尾根が徐々に高度を落とし、やがて荒川に没するが、その尾根の東端で最後に頭を持ち上げる1000m峰が御岳山である。南麓を荒川の流れが蛇行している。少し上流に秩父湖がある。

 この山を開いたのが地元の普寛行者で、その行者像を安置する普寛神社が南麓落合の登山口にあった。

 ここで普寛行者について少し見ておこう。普寛は俗名木村好八といい、享保16年(1731年)に大滝村落合(現秩父市)で生まれる。その誕生の地に普寛神社が建てられている。長じて江戸に出て仕官し、文武両道に精進するが、明和元年(1766年)にUターン、三峰山に入って名を普寛と改め修験者となった。

 普寛は初め群馬県の三笠山を開き、次いで地元の意和羅山、そして寛政4年(1792年)には木曽の御嶽山に入り王滝口を開いた。この王滝口の名は出身地大滝村の名を付けたもの。



 同時に普寛は御嶽講を組織するなどして、それまでは登拝の制限が厳しく、厳格な精進潔斎を通過した道者のみが許されていた山に、一般参拝者でも容易に入れるようにした。
 その後も越後八海山を中興し屏風道を開いたり、上州武尊山などつぎつぎと開山したが、享和元年(1801年)本庄宿で没した。
 没後、普寛霊神として仰がれ普寛神社に祀られた。

 秩父御岳山への登山道はその普寛神社の前から始まっていた。私たちは三峰口からのバスを落合で降り、先ず神社に参拝して頂上を目指した。
 神社からすぐで王滝川に行き当たる。道は王滝川の右岸に沿ってつけられていたが、いきなり堰堤が5つほど連なり、その一つ一つを乗り越していくので、最初から急登を強いられた。そういえば沢の入口に土石流危険渓流の立て札が立てられていた。堰堤はその防護のためのものだろう。

 沢床は半ば落ち葉に埋もれている。水量は少ないが澄んだきれいな水が流れていた。初め右岸の山腹に付けられた滑り易い斜面を行く。危険なところには鎖やロープがフィックスされているが、凍結したりしていると厄介なところだ。少しでも油断して足を踏み滑らしでもしたら大事になるかもしれない。慎重に行く。
 


 山の危険は高山だけにあるとは限らない。高山であっても登山道はきれいに整備されており、小屋は一寸したホテル並みのところもある。途中までロープウェイで運んでくれるとあっては、気象条件さえ良ければ街の公園を歩く気分で3000mの景観を堪能することもできる。逆に里近くの低山であっても荒れている箇所を行くようなところもある。ちょっと油断すれば命に係わるような危険を冒すこともある。山の危険はどこにでも潜んでいると覚悟しておくに越したことは無い。

 やがて道は何度も沢を渡り返しながら行く。まだ新しい丸太の橋がいくつも架けられていた。
 道は一旦沢から離れ、右の山腹を行く。こちらは歩き良く、気分のいい道だ。
 再び沢に降り対岸に渡ると、今度は急斜面の直登が待ち構えていた。  

 一息入れていると中年のご夫婦が追い付いて来て頂上へは前後して登るようになった。このご夫婦新潟から来たという。自宅を朝6時に出て関越道を車で飛ばしてきたというから驚いた。実は私たちも自宅を出たのは6時過ぎだった。なんとなく新潟は遠い所と思っていたのだが、それはずいぶん前の話。
 田中角栄の日本列島改造計画で、関越道が開通し、新幹線が出来て、新潟もずいぶん近くなり便利になって久しい。だが私には当時不便になったなという不謹慎な思いがあった。それまではたとえ半日の会議といえども前泊、後泊で2晩新潟の夜を楽しめた。それが新幹線の開通で日帰り出張になってしまった。

 閑話休題。まだ先に急な登りが控えている。ひとしきり喘いだらトンネル脇の林道に飛び出した。山腹を縫ってどこからどこへ通じるのだろう。まだ工事中のようであった。
 さらに一登りで両神山から伸びてきた主尾根に出た。細く急な尾根が御岳山頂に突き上げていた。尾根筋には消え残った雪が硬く凍り付いていて、うっかりすると滑り落ちそうだった。鎖とロープが取り付けられていてずいぶん助けられた。



 午後も1時近くになってようやく頂上に着いた。頂上は狭かった。その狭い頂上に普寛神社の奥の院がでんと鎮座していた。他に三角点と周囲の山岳展望図。これだけでいっぱいだった。先着の登山者も落着く場所がなく、すぐ下の登山道脇に腰を下ろしてお弁当を開いていた。私たちも祠脇のほんの少しの空間を見つけてお昼の支度にかかった。

 今日は恒例のプシュ−ッが無い。それはこれからの下山道も暫らくは油断できないからだ。儀式は下山後の楽しみにした。  


 頂上は狭く突き出していた上に周りの喬木の枝が切り払われていたので、眺望はすこぶる良かった。私たちは食後のコーヒーを楽しみながら周囲の山の展望を楽しんだ。
 南には三峰さんから雲取山、右へ和名倉山をはじめ奥秩父の2000m級の山々が逆光の中で黒々と連なっていた。北西正面にはそれとすぐに分かる鋸状の両神山、その右奥には西上州の山が柔らかな春の陽射しを受けて長閑な佇まいを見せている。一番奥の白い大きなのは浅間山。

 いつまで眺めていても飽きないが、他の登山者も皆下りてしまったので、私たちも重い腰を上げることにした。

 下りも思っていた通り、急な下りでところどころ凍結していた。頼りにする立ち木もロープも無い。軽アイゼンでも着ければなんでもないのだが、もう少しもう少しと思っているうちに降りてきてしまった。ここでもへっぴり腰。ずいぶん時間をかけて下り、ようやくなだらかな気分の良い尾根道になってほっと一息ついた。

 やがて三峰口へ向けて最後の下りにかかった。辺りは広葉落葉樹。落ち葉がフカフカと登山道を埋めている。今度はその下に隠れているかもしれない段差や石に乗って足を挫かないよう注意して歩かなければならない。

 途中麓の町が近くなってきたところで今日最後の休憩を取った。渇いた喉にMさん持参のミカンが美味しかった。正面に秩父の名山武甲山が大きかったが、その山肌は石灰石の採石で削り取られ痛々しかった。いずれ姿を消してしまうのだろうか。

 秩父御岳山は1000mをほんの少し出た程度の山だが、急登降が続き結構登り甲斐のある山だった。今日も私たちは満ち足りた気持ちで、途中奇形な墓石のある「即道の墓」を見ながら山を下りた。  



2008.3.8歩く

秩父御岳山 1081m
 1/25000 三峰
  秩父鉄道三峰口駅(バス20分)落合(2分)普寛神社(80分)
林道普寛トンネル(45分)御岳山(120分)下山口(20分)三峰口駅

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