か  も

カ モ   鴨 可母 可毛



軽の池の 浦廻行き廻る 鴨すらに 玉藻の上に ひとい寝なくに
                3―390 紀皇女

ももづたう 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
                3―416 大津皇子

 万葉集に鴨を詠った歌は44首ある。このうち、味鴨、高部、鴛鴦など、種が区別されているものが17首で、残り27首は鴨として詠まれている。

 鴨が、現在よく知られているマガモ、カルガモ、オナガガモ、ハシビロガモなどのように区別して呼ばれるようになったのはほとんどが江戸時代からのようで、万葉の時代にはその区別はなく、一括して鴨と呼ばれていた。
 鴨の歌44首は、鳥の中では5番目に多く、万葉人にとって鴨は身近な鳥として親しまれていたのかもしれない。

 416の歌意は、(ももつたう)磐余の池で鳴いている鴨を見るのも今日限りで、私は死んでいくのか。  これは大津皇子の辞世の歌。大津皇子は、朱鳥元年(686)天武天皇の死15日後の10月2日、持統天皇から皇太子草壁への謀反の疑いをかけられ、死を賜り、翌3日に処刑された。題詞に、大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首、とある。
 なお、雲隠るという表現は、貴人に対するもので、本人が言うのは不自然ということで、仮託説もある。

 390の歌意は、軽の池の、浦を泳ぎまわる鴨さえ、藻の上でひとり,寝はしないのに。  鴨が上で寝られる位藻が発生するのは夏だろうから、この鴨は留鳥のカルガモとの説もある。このように詠われた時期、場所・環境などをよく読んでみると、鴨の種を想定できるのもいくらかあるかもしれない。

 
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