ひ ば り

ヒバリ   比婆理 比婆里 



うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば
                      19−4292 大伴家持

朝な朝な 上がるひばりに なりてしか 都に行きて はや帰り来む
                      20−4433 安倍沙美麻呂

ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞たなびく
                      20−4434 大伴家持



 ヒバリ スズメ目 ヒバリ科

 留鳥。日本全域で生息・繁殖する誰もが知っている鳥。ピーチュク・ピーチュク、ピュリピュリなどと鳴きながら空高くあがり、降りてくるまで鳴きつづけている。以前その長さを計ったら、最長5分10秒というのがあった。
 ウグイスが早春をイメージするのに対し、ヒバリは長閑な陽春を思う。 

 4292は、うららかに照る春の日に、ひばりは上がって行くが、心は悲しいことだ、一人で物思いに耽っていると。
 左注によると、痛むこの心は歌でないと紛らせない。よってこの歌を作って、鬱屈した気持ちを散じるとある。

   家持は何に心を痛めていたのだろうか。この歌が詠われたのは天平勝宝5年2月25日(太陽暦の4月3日)。このときの天皇は孝謙天皇で、皇太后が光明子。この頃光明皇太后のバックアップもあって、藤原仲麻呂が台頭し、権力を握っていた。
 一方、家持を庇護していた橘諸兄は、それまで左大臣で太政官の首班であったが、仲麻呂の台頭とともに地位は低下していった。仲麻呂は家持の上司でもあったが、次第に溝が深まっていったようだ。これらのことで気持ちがふさがっていたのかもしれない。  





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