つ ば き

ツバキ   椿 海石榴 都婆伎 都婆吉



巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を
                      1−54 坂門人足

河上の つらつら椿 つらつらに みれども飽かず 巨勢の春野は
                      1−56 春日蔵首老 


ヤブツバキ ツバキ科 ツバキ属

 辺りはまだ冬枯れの中、艶のある濃い緑の葉の間に点々と真紅の花をつける椿は、遠くからでもよく目立つ。

 全国の海岸近くの丘陵や山地に自生しており、公園や庭にも広く栽培されている。ただ、柳田國男によると、全国に広がっているものは自生のものとは限らず、若狭の八百比丘尼のごとき、廻国の伝導者が手に持つ枝も多くは椿であったように、人手により広められたものという。

 高さ2・3mから10mを越える常緑の高木で。真紅の花弁は半開きの杯状。中に黄色の蘂。この赤と黄と緑の色合いが素晴らしい。歌でも愛でるものが多く、観賞用としても栽培されていた。花期は1月〜4月。旧暦の春を代表する花木で、椿という字を充てられたものか。

 54の歌は、題詞によると大宝元年(701)9月に太上天皇(持統)が紀伊に行幸したときに詠った歌。巨瀬は飛鳥から吉野へ向う道と紀伊へ向かう道の分岐点(今の近鉄吉野口の辺り古瀬の地あり)。交通の要衝地であった。そこには椿の木が沢山あった。9月だから花は無い。花の咲く春は素晴らしいだろうと偲んで歌ったもの。

 56の歌は、その春に見事な花を飽かずに眺めている様子を詠ったもの。    

 
その他のつばきの歌

ホーム トップ