む ぎ

ムギ   麦 武芸



馬柵越しに 麦食む駒の 罵らゆれど なほし恋しく 思ひかねつも
                    巻12-3096 作者未詳

くへ越しに 麦食む小馬の はつはつに 相見し児らし あやにかなしも
                    巻14-3537 東歌

ムギ  イネ科  

  子供の頃、寒い朝白い息を吐きながら麦踏を手伝った。手伝ったというよりも登校の途中遊び半分でやっていたのに過ぎないのだが。今ではそんな光景も見られない。

 麦には小麦と大麦の2種があり、米の裏作として作られていた。今日では小麦はうどんなどの麺類、パン、菓子の原料として。大麦は味噌、醬油、麦酒などの原料となり、毎朝毎晩その恩恵に預かっている。

 麦が我が国に伝来したのは弥生時代の終わり、3~4世紀頃と言われている。
 古事記には、高天原から追放された須佐之男に食事を提供した大宜津比売神が、その須佐之男に食べ物の出し方が悪いと殺されてしまうが、その死体の目から稲、耳から粟、鼻から小豆、尻から大豆、陰部から麦が生まれたと、五穀誕生の由来が書かれている。

 万葉集には麦を詠った歌が2首ある。2首とも麦に寄せた恋の歌である。  3096の歌意は、柵越しに麦を食べる馬が罵られるように、いくら𠮟られてもやはり恋しくていられない。
 3537の「くへ《は柵、「はつはつ《はほんのわずか、「あやに}はむしょうにの意。柵越しに麦を食べる小馬のようにほんのわずか会っただけのあの娘がむしょうに愛しい。


ホーム トップ