あ し び

ア セ ビ   馬酔木 安志妣 馬酔 安之婢



磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに
                    2−166 大伯皇女

あしびなす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも
                    7−1128 作者未詳

かはづ鳴く 吉野の川の 滝の上の あしびの花そ はしに置くなゆめ
                    10−1868 作者未詳

我が背子に 我が恋ふらくは 奥山の あしびの花の 今盛りなり
                    10−1903 作者未詳

春山の あしびの花の 悪しからぬ 君にはしゑや 寄そるともよし
                    10−1926 作者未詳

鴛鴦の住む 君がこの山斎 今日見れば あしびの花も 咲きにけるかも
                    20−4511 大監物三形王

池水に 影さへ見えて 咲きにほふ あしびの花を 袖に扱入れな
                    20−4512 大伴宿禰家持

磯影の 見ゆる池水 照るまでに 咲けるあしびの 散らまく惜しも
                    20−4513 伊香真人

おしてる 難波を過ぎて うちなびく 草香の山を 夕暮に 我が越え来れば 山も狭に 咲けるあしびの 悪しからぬ 君をいつしか 行きてはや見む
                    8−1428 名を明かさず

三諸は 人の守る山 本辺には あしび花咲き 末辺には 椿花咲く うらぐはし 山そ泣く子守る山
                    13−3222



 アセビ ツツジ科 アセビ属

 山地や平地の比較的乾燥したところに生える常緑の低木。花は春3〜4月にかけて枝先に壷形の可愛らしい花を沢山つける。古くから親しまれており、公園や庭木として広く植えられている。
 春、低山歩きをしていると、どこででも見かけるが、特に伊豆の天城の群落は知られる。奈良春日大社から新薬師寺への道にささやきの小道というロマンチックな名前の道があるが、ここはアセビのトンネルを行く。

 アセビは有毒植物で、この花を食べた馬がフラフラと酔ったようになったというのが名前の由来。有毒植物というからそれは分からぬでもないが、なぜ馬なのか、それをどうしてアセビと読むのかわからない。初めにあしびがあって、馬酔木は後から当てたのだろう。万葉集ではあしびと詠んでいる。
 

 166の歌意は、流れのほとりに生えているあしびを手折ろうとしたが、それを見せるべき君が、この世にいると誰も言ってくれない。
 君は大津皇子で大伯皇女の弟。大津皇子が父天武天皇の死後、同じく天武の皇子である草壁皇子に対し謀反を企てたとして持統天皇(草壁皇子の母で、天武天皇の妃)より死を賜る。草壁皇子を天皇にしたい持統天皇の謀ではないかといわれている。因みに持統天皇は、天智天皇の女。大津皇子の母である太田皇女も天智天皇の女で持統天皇の姉にあたる。

 大津皇子ははじめ二上山の麓に葬られたが、後ろめたさがあったのか、祟りを怖れたのか、後に二上山の山上に移葬された。
 この歌は、題詞には、二上山に移葬するときに大伯皇女が悲しんで詠んだとある。しかし編者は歌の内容に疑問を感じたのであろう、左注で、今考えると移葬のときの歌に似合わず、伊勢神宮から京に還る時、道の上にこの花を見て作るか、と説明している。
 大伯皇女は15歳のとき斎宮となり、13年間伊勢神宮に仕えたが、大津皇子の処刑により任を解かれ、朱鳥2年11月16日京に戻った(日本書紀)。太陽暦では12月9日というから、花は咲いていなかったかもしれない。


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