浦野の山



かの児ろと 寝ずやなりなむ はだすすき 浦野の山に 月片寄るも
                  14−3565 東歌

 大宝律令の制定に基づき、全国に五畿七道が設けられ、それぞれの国府を結ぶ官道が設けられた。信濃国は東山道に属し、現在の上田市浦野に駅家(うまや)が置かれた。これが後の浦野宿となり、今でも古い家並が続き、宿場の面影を残している。

 ところで、浦野の山とはどの山のこのことを言っているのだろうか。浦野山という特定の名を持つ山は見当たらない。浦野宿の北側にはなだらかな里山が横たわっている。多分、浦野辺りの山という意味だろう。

 山麓に薬師堂がある。堂前に万葉歌碑が建てられていた。眺めの良いところである。地元の東山道を保存する会が設置した展望台からは浦野宿が一望された。

 近くには、大宝年間(701〜704)に創建されたという大法寺があり、あまりに美しいので何度も振り返って眺めたということから、「見返りの塔」と呼ばれている 三重塔(国宝)がある。

 歌意は、今夜はあの子と寝ず仕舞いになってしまうのだろうか。はだすすきの茂る宇良野の山に、もう月が傾いてしまっている。
 土地の若者が、この薬師堂のあたりで、一晩あの子の家の辺りを見下ろしながら来るのを待っていたが、待ち人来たらず。がっかりした様子が伺われ、溜息が聞こえてきそうだ。


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