筑 波 嶺



筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも かなしき児ろが 布乾さるかも
                        14*3351 東歌

 検税使大伴卿の、筑波山に登る時の歌一首 併せて短歌
衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かきなけ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてそ遊ぶ うちなびく 春見ましゆば 夏草の 繁きはあれど 今日の楽しさ
                              9*1753 高橋虫麻呂

 反 歌
今日の日に いかにかしかむ 筑波嶺に 昔の人の 来けむその日も
                             9*1754 高橋虫麻呂

 筑波山は関東平野の東端に、ポツンと独立峰のように聳えているのでどこからでも良く眺められ、西に聳える富士山と共に古くから土地の人々に親しまれてきた。

 深田久弥は、「日本百吊山《を選ぶにあたって、山の品格・歴史・個性の3つの基準を設け、さらにそれに合致したものの中からおおむね1500m以上の山を選んだという。しかし、高さの例外が2山あって、それが開聞岳とこの筑波山。

 筑波山は標高876mと1000mに満たない低い山だが、歴史がある。  万葉時代より以前から、春秋の決められて日に人々は飲物や食べ物を持ち寄り、神の前で飲食し且つ歌いながら求愛する嬥歌会(歌垣)が行われていた。

 東麓近く、今の石岡には常陸国の国府があったので、そのお役人も時折登っていたのだろう。

 高橋虫麻呂の歌は、検税使としてやってきた大伴郷(旅人か)を1日筑波山に案内したときの歌。この頃虫麻呂は常陸国司の藤原宇合の部下として赴任していたらしい。

 東歌は、新桑繭で作った布を干している情景を歌ったものか。東国の方言交じりの歌である。
 筑波山を歌った歌は20首ある。    


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