多摩の横山



 赤駒を 山野にはかし 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ
                    20―4417 宇遅部黒女


 この歌は、武蔵国豊島郡の上丁椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)が、防人として出立するときに、妻の宇遅部黒女(うじべのくろめ)の詠った歌。

 武蔵国の防人は、国府(今の府中市、大國魂神社のある辺り)に集合し、ここから多摩川を渡り、多摩の横山を越えて東海道に出て西へ向かったらしい。当時(天平勝宝7年=755年)武蔵国は東山道に属していたが、東海道へ出る方が近かったのだろう。

 防人は、西への旅で馬があれば馬で行くことも認められていたらしい。この防人の妻もその日のために、赤駒を野に放し飼いにしてあった。しかし、いざ出立の時になるとどうしてもその馬が捕えられない。結局徒歩で行かすことになるのだが、そのことを嘆いての歌である。

 多摩の横山は、多摩川の南岸に横たわる丘陵地帯。さほど高くはないものの、初日からここを越えていくのは大変だっただろう。今では開発が進み住宅がびっしりと建て込んでいるが、なぜか写真の辺りだけが昔のままかと思ったら、そこはゴルフ場だった。

 歌意は、赤駒を 野山に放し飼いにしていたのを捕えることができず 歩いて行かせることになったしまったか


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