曝  井



 三栗の 那珂に向かへる 曝井の 絶えず通はむ そこに妻もが
               巻9-1745 高橋虫麻呂

 水戸市街地の北西部、那珂川に面した高台に水戸市で最大の古墳、愛宕山古墳がある。その愛宕山古墳の西側斜面の裾に、高橋虫麻呂が万葉集に詠った曝井があった。

 石に囲われた小さな泉だが、今でも中ほどから少量ながら、清冽な水が滾々と湧き出ている。

 常陸国風土記に
 「郡より東北の方、粟河(今の那珂川)を挟みて駅家を置く。そこより南に当たりて、 泉、坂の中に出づ。多に流れていと清く、曝井と謂う。泉に縁りて住める村の婦女、夏の月に会集ひて布を浣ひ、曝し乾せり。」

とあるように、当時はここに若い娘たちが集まって、賑やかに語り合いながらこの水で布を晒していたのだろう。そんな中に妻がいたら絶えず通うのにとの思いで詠ったのがこの歌。

   歌意は、(三栗の)那珂の村に向かい合ってある、曝井の水が絶え間なく 流れているように、私も絶えず通おう、そこに妻がいてくれたら良いのだが。

 そこに妻もが、とあることから、これは現地で詠ったのではなく、常陸国の国府(今の石岡市)にいたとき曝井の話を聞いて故郷に残してきた妻を思って詠ったものと思われる。

  万葉集に詠われたり、風土記にもあるこの曝井の名所も千余年の久しきを経て知るものはまれである。石文を建て世人に知らしめるようにとの藤田東湖の言葉によって、当時の地主が建てたという曝井の碑が、歌碑とは別に建てられていた。


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