佐 保 川



 千鳥鳴く 佐保の川門の 清き瀬を 馬打ち渡し 何時か通はむ
                  巻4-715 大伴家持

 佐保川の 清き川原に 鳴く千鳥 かはづと二つ 忘れかねつも
                          巻7-1123 作者未詳

 春日山東方に源を発し、若草山の北側を回り込むようにして平城京に入り、左京を南北に縦断し、現在の大和郡山市の南部で大和川と合流して大阪湾に注いでいる。

 万葉時代の佐保川の流れは今とは多少異なっていたようだが、川幅は広く舟運にも利用されていたらしい。大陸からの人や物は瀬戸内海を通り、難波津で小さな舟に乗り換えて大和川・佐保川を遡って京に入ったのだろう。

 私の通っていた中学校はこの川のほとりにあった。その後少し下流に移転し、その跡に奈良市庁舎が建てられた。平城京の頃は長屋王や藤原氏の邸宅があったのはこの辺り。発掘調査の際、長屋王邸跡からはおびただしい数の木簡が発掘されている。これから少し上流の佐保路は、大伴旅人・家持ら貴族の住む高級住宅地であった。

 佐保の川原にはチドリが遊び、ホタルが飛び交っていた。ここは大宮人の格好の散策路だったのだろう。今も両岸には桜並木が続き、花時には多くの花見客が行き交っている。

 715の歌意は、千鳥鳴く佐保の渡し場の清らかな瀬を、馬に鞭打って早くあなたのところへ通いたいのだが何時になったら通えるだろうか。

 1123の歌意は、佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥と河鹿の二つは、忘れようとしても忘れられない。

佐保川川原の憩いの場。

巻7-1123の歌碑。奈良市法蓮町。佐保川小学校裏の堤防上に建てられている。


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