二上山



 うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む
                   巻 2-165 大伯皇女

 天武天皇の死後1か月、大津皇子は謀反の罪で自死させられた。

 天武の後を継いだ持統天皇は、自分と天武との子である草壁皇子を次の天皇にしたかった。それには文武に優れ、人望もあった大津皇子(天武と持統の姉である亡き大田皇女の子)の存在が邪魔であった。そこで持統は大津に謀反の罪をかぶせて刑死させたと言われている。

 大津皇子は二上山に葬られた(改装したとも)。この時伊勢神宮の斎宮であった大津の姉大伯皇女はこのため任を解かれ都に帰った。そこで詠んだのが上の歌である。

 二上山は飛鳥から見て西方浄土のある方角にあたるところ。なぜ謀反人をそのような神聖なところに埋葬(改葬)したのだろうか。ありもしない罪を大津に被せた後ろめたさがあったのか、あるいは怨霊を恐れたのではないかとも言われている。

 現在二上山の雄岳に大津皇子の墓があるが、これは江戸時代に作られた話で墓ではないらしい。山麓に鳥谷口古墳があるが、こちらが本当の大津の墓ではないかと言われている。

宮内庁管理の大津皇子の墓とされているところ。

葛城市側山麓にある鳥谷口古墳。


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