真間の井



鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ児も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 湊入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の さわく湊の 奥つ城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
                        9−1807 高橋連虫麻呂

勝鹿の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ
                        9−1809 高橋連虫麻呂


 手児奈霊堂と道を挟んで北側に亀井院があり、その境内に真間の井がある。万葉の頃はこの近くまで東京湾の入江だった。すぐ裏の崖上が国府台の台地。崖から湧き出た水が下の窪地に溜まり井戸となっていたのだろう。地面がならされるほど何度も水汲みに行き来していた様子が伺える。

   現在の井戸は、元禄の頃に伝説に因んで造られたものという。

 満月のようにふくよかな顔をした手児名。髪も梳かず、靴も履かず、麻の衣を着ただけでも、どんなに着飾った箱入り娘よりも美しかったという。そんな手児名を口説こうと夏虫が火に飛び込むように、港に入ろうと舟を漕ぐように集まってくる。そのことを悩んだ手児名は身を投じ、この墓所に横たわっている。古い昔のことだが、昨日見たかのように思えると詠う。

 高橋虫麻呂の生没年は不詳だが、伝説を詠うことを得意としている。

 歌碑は井戸のすぐ横と、手児奈霊堂の前にも建てられている。




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