鹿島神宮



霰降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍士に 我は来にしを
               20−4370 那賀郡の上丁大舎人部千文


 鹿島立ちという言葉がある。辺境防備の旅に赴く防人が、 武神武甕槌命を祀った鹿島神宮に旅の安全を祈ったことに由来しているという。

 その防人の詠ったのが上の歌。私は鹿島の神に祈って、天皇の兵士としてやって来たのだから、という意。
 霰降りは、霰が降るときにパラパラと音をたてるのがかしましいということから、鹿島にかかる枕詞。作者は天皇の警護として仕える大舎人の家の若者千文。大変勇ましい歌だ。しかし、千文にはもう1首万葉集に採用された歌がある。

 4369 筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも かなしけ妹そ 昼もかなしけ

 筑波嶺の百合の花のように、夜愛しい妻は昼間思い出しても愛しい。
 こちらは優しい歌。旅の途中、置いてきた愛しい妻のことを思っているのだろう。しかし、次の4370の歌ではそんな女々しいことを考えている場合ではない、俺は天皇の兵士としてやってきたのだから。と気持ちを奮い立たせている。
 編集者家持は、そんな千文の気持ちを忖度して、筑波嶺の…、霰降り…、の順で採用したのだろう。

 先の大戦中では、4370の歌だけが取り上げられ、戦意昂揚のために喧伝されていたという。  



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