磐之媛命陵



君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ
                  巻2−85 磐姫皇后

かくばかり 恋ひつつあらずば 高山の 石根しまけて しなましものを
                  巻2−86 磐姫皇后

ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我が黒髪に 霜の置くまでに
                  巻2−87 磐姫皇后

秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ
                  巻2−88 磐姫皇后

 磐姫皇后、天皇を思ひて作らす歌4首(題詞)
 85の歌意は、君(仁徳天皇)が行幸されてから ずいぶん日が経ちました 迎えに行きましょうか それともずっと待っていましょうか。
 86の歌意は、これほど恋しいのだったら 高山の 岩根を枕にして 死んでしまう方がましだ。

 磐姫皇后の気持ちが歌の通りだとすると、大変情熱家で天皇思いの皇后だったように思える。

 しかし古事記には、「嫉妬されることが多かった。そのため天皇がお使いになっている妾たちは宮中に入ることもできなかった。そして妾の誰かの噂が立つと、足をばたつかせて嫉妬した。」とあるように、大変嫉妬深い皇后として記されている。

 吉備の海部直の娘黒日売は天皇に召されて宮中に上ったものの、磐姫の妬みを恐れて逃げ帰ったという。さらに追い打ちをかけるように、磐姫は部下を追わせ船で帰ろうとする黒日売をその船から降ろし、徒歩で帰らせたというからその嫉妬ぶりも相当なものだ。

 そして、磐姫が豊楽(酒宴)の準備のために、料理を盛る三つ柏を紀の國へ採りに行った留守に、天皇は八田皇女を宮中に召された。それを知った磐姫は嫉妬のあまり採ってきた三つ柏をすべて海中に捨て、都には帰らず、そのまま山城の筒木宮に籠ってしまった。天皇は何度も迎えの使いを遣ったが磐姫は頑として聞かずついにその地で亡くなった。

 この嫉妬深さは尋常ではないが、詠われているように、天皇を愛する気持ちが強かっただけに、その裏返しとして嫉妬深くなったのかもしれない。
 4首の歌は作者未詳の伝承歌であったものが、磐姫の伝説に結び付けられ仮託したものだろうといわれている。

 平城宮址の北方600mほどのところにある佐紀盾列古墳群の一つ、全長219mのヒシアゲ古墳が磐姫皇后の墓に治定されている。


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