稲瀬川



 
 まかなしみ さ寝に我は行く 鎌倉の 水無瀬川に 潮満つなむか
                    巻14−3366 東歌


 この大きな石碑がなかったら水無瀬川の所在が分からなかった。いや、あっても最初は気付かなかった。碑面には稲瀬川とあった。

 うろうろと往き来し、3度目によく見たら、碑面に「萬葉ニ美奈能瀬河トアルハ此ノ河ナリ」とある(原文は美奈能瀬河泊)。ミナノセがミナセになり、イナセに転化したのだろう。

 川と言っても水の流れは細く、排水溝のようなもの。今両岸はコンクリートで固められているが、当時は自然の流れ。引き潮のときは名前の通り水量も少なく容易に渡れただろうが、満ち潮のときは渡れなかったのだろう。

 歌意は、いとしさのあまり共寝をしに私は行こう。でも、水無瀬川に潮が満ちていないだろうか。

 潮が満ちてくると、それが障害となって娘のところに行けなくなるのでそれを心配している。でも障害は川だけだろうか。こんな歌もある。

 妹をこそ 相見に来しか 眉引きの 横山辺ろの 鹿猪なす思へる
                    巻14−3531 東歌
 (可愛い子に ちょっと会いに来ただけなのに (眉引きの) 横山辺りをうろつく 鹿か猪のように思って追っ払いよって)

 大切な娘を監視する母親の目は厳しかった。


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