稲村ケ崎



 鎌倉の 見越しの崎の 岩くえの 君が悔ゆべき 心は持たじ
                 巻14−3365 東歌


 霊仙山の丘陵が相模湾に突き出た先端が稲村ケ崎である。

 鎌倉時代には、ここが鎌倉の西の境界で、絶好の防御壁となっていた。新田義貞が鎌倉攻めの時、龍神に祈願して海中に黄金造りの太刀を投じ海岸を徒渉したという。西側に整備された公園に、「史跡稲村ケ崎新田義貞徒渉伝説地」の石碑が建っている。

 今では湘南道路を車で容易に通り抜けることが出来るが、断崖絶壁で、しかも崩れ易いこの崎、万葉の時代から難所だったに違いない。土地では崩れ易いところとして知られていたのだろう、それを序として持ってきて同音の悔ゆる心にかけている。

 歌意は、鎌倉の稲村ケ崎の岩が崩れるように、あなたが後悔するようなそんな心を私は持ちません。
 私はいつまでも心変わりせず、あなたのことを愛しています(二人の仲は崩れません)ということか。

 なお、見越しの崎はもう少し西方の腰越の崎(小動崎)ではないかとも言われている。


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