平 城 京



 あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり
                       3−328 小野老


 奈良の都は、今花が爛漫と咲き薫るように、真っ盛りに栄えている。
 歌意はこうだが、はたして都が栄えていると詠っているのだろうか。

 この歌を詠ったのは、小野老が神亀6年(729)3月4日に従五位下から従五位上に昇叙せられ、任地の太宰府に戻ったときに歌われたものである。
 長官の大伴旅人を中心に、筑紫歌壇の人々が集まって昇進祝いの席を設け、その席で、京の様子はどうだったのかと聞かれ、このように詠ったのであろう。

 この頃の世情は決して歌のような状態ではなく、不安定な状況が続いていた。
 養老4年(720)には南九州で隼人の反乱が、神亀元年(724)には陸奥で蝦夷の反乱があり、それぞれ鎮圧されたものの、その後災厄が続いたため、神亀2年には災厄を除くため3000人を出家させ、神亀5年(728)には国家平安のため金光明経を諸国に分けている。さらに地方政治にも問題があったのだろう、神亀4年(727)に国司の政治について調べさせている。直近の天平元年(729)2月には長屋王を謀反の疑いで自殺に追い込むなど不安材料は一杯だった。

 一方、長屋王亡き後、藤原武智麻呂が大納言に昇任するなど、藤原4兄弟は我が世の春を謳歌していたものと思われる。小野老は、花を藤原の藤の花に重ねて皮肉っぽく報告したのではないだろうか。それを受けて一座にいた大伴四綱は次のように詠っている。これは、長官旅人に詠いかけたもの。
 藤波の 花は盛りに なりにけり 奈良の都を 思ほす君や
                          3−330

 これに応えて旅人は望郷の歌を5首詠っている。その一つ。
 我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を 見ずかなりなむ
                          3−331

 平成9年に朱雀門が復元されたのに続き、平城京遷都1300年の平成22年に大極殿が復元された。


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