甘 樫 丘



 采女の 袖吹きかへす 明日香風 京を遠み いたづらに吹く
                       1−51 志貴皇子


 飛鳥から藤原へかけての古を偲ぶには甘樫丘に立ってみるのが一番良い。
 東麓には飛鳥の宮のあった辺りが見下ろせる。目を北に転じると藤原の古京の址が一望だ。

 正面に耳成山が。その手前、耳成山を背にして藤原宮が造営された。藤原宮の東に天香具山が。西には畝傍山。そしてこの大和三山を取り込むようにしてわが国最初の条坊制の都が営まれた。

 持統天皇8年(694)12月6日、都は飛鳥浄御原から藤原宮に遷された。さほど遠くはないものの、官人達は皆新益京へ移っていったので飛鳥の里は寂しくなってしまった。

 甘樫丘に登ってくる道の脇に、犬養孝の筆による冒頭の志貴皇子の歌碑があった。

 采女は地方豪族が、一族の中から選りすぐった美女を天皇の近侍として貢進したもので、とくに食膳で奉仕をした。
 そんな采女たちの袖を艶やかに吹きかえしていた明日香風。その風も都が遠のいたいまは、ただむなしく吹いているだけだ。志貴皇子は采女の去っていった寂しさを詠った。

 志貴皇子の歌は万葉集に6首ある。「石走る 垂水の上の さわらびの…」「葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて…」「神奈備の 磐瀬の杜の ほととぎす…」など、いずれもすてきな歌だ。


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