街歩き


庄内藩14万石の城下町鶴岡を歩く


2007.5.30歩く

コ ー ス  徒歩1時間20分
JR鶴岡駅(25分)内川乗船場跡(10分)風間家別邸釈迦堂(3分)風間家旧本邸(5分)田澤稲舟像(5分)鶴岡カトリック教会(10分)致道館(2分)大宝館(3分)荘内神社(17分)致道博物館(バス10分)JR鶴岡駅

鶴岡は、初め鎌倉期に武藤氏が大宝寺城を築き代々領有した。その後最上氏、上杉氏、最上氏の所領となったが、元和8年(1622年)酒井忠勝が13万8000石で入封し、以来藩籍奉還までの250年にわたって酒井氏が治めた。今も所どころに残る城下の面影を訪ねて歩いた。
また、ここは鶴岡出身の作家藤沢周平の小説に描かれる「海坂藩」の舞台にもなっている。



致道館霊廟旧趾
鶴岡駅から真直ぐ南に伸びる駅前通りを15分ほど行くと、庄内藩校「致道館」発祥の地があった。
致道館は文化2年(1805年)、9代藩主酒井忠徳によってこの地に創設されたが、文化13年(1816年)に政教一致の趣旨で鶴ヶ岡城三の丸の現在地に移された。

この先の日枝神社を右折してた10分ほど進むと内川に出た。内川に架かる大泉橋の左手に奥の細道内川乗船地跡があった。

奥の細道内川乗船地跡
松尾芭蕉は奥の細道の旅の途中、近くの庄内藩士長山重行宅に3日ほど滞在し、ここから船で内川、赤川、最上川と下って酒田に向かった。当時舟で半日行程だったという。

奥の細道
「羽黒を立ちて、鶴が岡の城下長山氏重行と云う物のふの家にむかへられて、俳諧一巻有り。佐吉も共に送りぬ。川舟に乗りて酒田の湊に下る。」

無量光苑釈迦堂
内川沿いのほっとパークを散策して10分ほどで釈迦堂に着いた。
鶴岡の豪商風間家の別邸として明治43年に建てられ、来賓の接待や集会の場として使われていた。昭和27年から9代目当主の私邸となっているが、風間家は代々浄土真宗の信仰が厚く、9代目当主が床の間に石仏釈迦像を安置して「無量光苑釈迦堂」と称した。建物の構造や意匠が素晴らしく、平成14年に国登録有形文化財となっている。

丙申堂(旧風間家住宅)
釈迦堂を出て50m程南に旧風間家の本宅がある。風間家は元は沢海藩(現新潟市)の武士であったが、後商人となり酒田を経て鶴岡に移住、藩御用商人となり鶴岡第一の豪商となり、庄内地方では酒田の本間氏に次ぐ大地主になったという。

建物は明治29年の丙申の年に建てられたので丙申堂と名付けられた。建築にあたって明治27年の酒田地震を教訓にさまざまな工夫が施され、国の重要文化財に指定されている。
建物の屋根は杉皮葺で、その上にびっしりと石が置かれており、その数約4万個。大変珍しい屋根だ。

田澤稲舟像
丙申堂を出て再び内川へ。現代彫刻風の変わった欄干の橋を渡り右へ川岸を行く。この内川は藤沢周平の小説の中に、五十間川としてしばしば登場する。
川端に田澤稲舟文学碑があった。田澤稲舟は明治7年、この地で医師の娘として生まれた女流作家。異色の女流作家として中央でも注目されたが、21歳9ヶ月の若さでこの世を去った。遺作に「五大堂」。

鶴岡カトリック教会
田澤稲舟像を後に、次ぎの三雪橋で再び内川を渡り鶴岡公園に向かう途中右手に鶴岡カトリック教会がある。白亜の天主堂の上の赤い三角屋根がひと際目を引く。ロマネスク様式の教会建築だそうで、明治36年に建てられたもので、国指定重要文化財になっている。
また、ここの黒い聖母マリア像は世界的にも珍しく、日本ではここだけのもののようだ。

天主堂を右に見てなおも進むと、鶴ヶ岡城のお堀端沿いの広い通りに出た。修験道場の金峯神社を祀る金峯山(国指定名勝)に通じる金峯街道で、左に行くと市役所の先に致道館がある。

庄内藩校致道館
9代藩主酒井忠徳の頃、財政は困難に陥り士風は退廃していたが、これを刷新し、藩政を立て直すには教育が重要と説き、文化2年(1805年)藩校「致道館」を創設した。
当時幕府は朱子学を正当な学問としたが、庄内藩では荻生徂徠の徂徠学(古文辞を直接読むことによって孔子の教えを直接研究しようとする学問)を教学とし、明治6年の廃校まで続いた。
その後鶴岡県庁、警察署などを経て、昭和26年に国史跡に指定され、昭和47年から一般公開されるようになった。
2003.5.4
講堂
致道館の学制は、@句読所、A終日詰、B外舎、C試舎生、5舎生、の5段階に分かれていた。今の@小学校、A中学校、B高校、C大学、D大学院に相当する。
数え年10歳で句読所に入学し、年1〜4回の学業検問に合格すると、年齢や修学年数に関係なく順次進級できたという自習自学の個性を伸ばす教育を行った。
講堂は始業式などに使われたが、藩主参勤で留守の年には、役所としても使用されていたらしい。
2003.5.4
大宝館
鶴岡の街を歩くと、庄内藩時代の古い遺構と共に明治・大正時代の瀟洒な西洋建築が目立ち、鶴岡の街並みを特徴付けている。鶴岡公園にある大宝館もその一つ。
大正天皇の即位を記念して大正4年に建てられたもので、バロック様式を模した建物にルネッソンス風の赤い尖塔屋根を合わせた擬洋風建築。
当初は図書館や集会室であったが、今は高山樗牛、横光利一、藤沢周平他鶴岡出身の著名人の人物資料館となっている。
2003.5.4
荘内神社
大宝館を出て鶴岡公園を散策した。ここは鶴ヶ岡城のあったところ。城は明治の廃城令により取り壊されたが、その後明治10年に藩主を慕っていた領民によって本丸跡に荘内神社が創建された。祭神は、初代忠次、2代家次、3代忠勝、9代忠徳。宝物殿には酒井家ゆかりの品々が収蔵展示されている。
2003.5.4
致道博物館
鶴岡公園を散策した後、西隣りにある致道博物館へ行ってみた。ここは鶴ヶ岡城の三の丸にあたり、庄内藩の御用屋敷となっていたところ。庄内地方の歴史的建造物を移築保存している。
これは明治14年に建てられた洋風建築で、旧西田川郡役所。昭和47年に移築された。館内には考古学資料や戊辰戦争などの資料を展示している。特に兄弟都市を結んでいる鹿児島との関係の資料を展示しているのは、新政府に降伏後西郷隆盛の計らいで寛大な処置を受けたことによるもの。

庄内藩主御隠殿
文久3年(1863年)第11代藩主酒井忠発の隠居所として建てられたもの。酒井家に伝わる鎧・兜・調度品の他、藩校致道館の資料が展示されていて、大名屋敷の面影を偲ぶことができる。
奥にある庭園は、東北地方では稀に見る典型的な書院庭園として国の名勝に指定されている。

旧渋谷家住宅
湯殿山の麓田麦俣にあった民家を昭和40年に移築したもの。
山峡の地と有数の豪雪地帯に適応した三層・四層の建て方で、2階や3階そして屋根裏などは作業場や物置、養蚕などの場として使われていた。茅葺兜造りの美しい、そして珍しい民家だ。文政5年(1822年)に建てられたもので重要文化財に指定されている。

からからせんべい
鶴岡の街歩き、距離は左程でもないが見るべきものが多く、致道博物館を出たときはすっかりくたびれてしまい、市役所の前からバスで駅前に戻った。
お土産に買った「からからせんべい」、固い瓦せんべいだが、割ると中から干支の猪やでんでん太鼓、笛などなど小さな玩具が出てくる珍しいもの。何が出てくるか楽しみで、食べないのに全部割ってしまった。


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