街歩き


大宮八幡宮から善福寺緑地公園へ


2010.3.27歩く

コ ー ス  徒歩2時間35分
京王井の頭線永福町駅(10分)大円寺(10分)大宮八幡宮(15分)杉並区立郷土博物館(15分)和田掘公園(2分)松ノ木遺跡(18分)杉並児童交通公園(25分)熊野神社(20分)善福寺緑地公園(なかよし橋)(40分)JR中央線阿佐ヶ谷駅

善福寺川緑地公園と和田掘公園を結ぶ善福寺川沿いの道は、四季折々の花と緑が楽しめる散歩道。和田掘公園北の台地は縄文時代からの複合集落遺跡。善福寺川を挟んだ南側の台地は弥生時代の族長の墓と思われる方形周濠墓のあった大宮遺跡。今は大宮八幡の広大な森となっている。桜の花もそろそろと思われる頃、歴史と緑の散歩道を歩いた。

    

京王井の頭線永福町駅
 新宿から京王線で明大前乗換井の頭線で1駅。新宿から10分。または、渋谷から京王井の頭線で12分。      

 永福町駅を北口に出て井の頭通りを渡り、永福通りの商店街を北に向かう。すぐに大宮八幡へ直接行く道が分かれるが、ここは真直ぐ進もう。

大円寺
 通りの右に扉に葵の紋をつけた山門を持つ大円寺がある。泉谷山大円寺という曹洞宗(禅宗)のお寺。本尊は釈迦如来坐像。寺伝によれば、慶長8年(1603)徳川家康の開基により、はじめ江戸赤坂溜池に建立された。開山は諦巌桂察和尚(武田信玄の弟)。その後寛永18年(1641)の江戸の大火で焼失。芝伊皿子に再建され、さらに明治41年に現在地に移転した。
 延宝元年(1673)薩摩藩主島津光久の嫡子綱久が江戸で死去した際当寺で葬儀をして以来、島津家の江戸における菩提寺となっている。

戊辰の役旧薩摩藩戦死者墓
   山門を入って左が本堂。右に墓地がある。一番手前に島津藩が寄進した宝篋院塔と六地蔵尊がある。その奥に戊辰戦争の折戦死した薩摩藩士の墓標があり、台座に75名の戦死者の名が記されている。
 江戸城無血開城のため勝は西郷のもとへ使者として山岡鉄舟を送るが、そのとき同行して西郷に会わせるなど、勝・西郷会談の下工作をした益満休之助の名も見える。

 旧薩摩藩戦死者墓の南側にあるのが上総飯野藩保科家の墓。この東側には高遠藩保科正直の墓である大きな五輪塔がある。正直の子、正光は二代将軍秀忠の子正之を養子とするが、この正之が後会津藩の始祖となる。
 戊辰戦争の主役である薩摩藩と会津藩の所縁の墓が同じ墓地にあるのも何かの縁か。なお、飯野保科家は高遠保科正光の弟の系統になる。

 大円寺を出てさらに北へ200mほど行くと方南通りに出る。信号を渡り、1本北の方南通りと平行して西へ行く狭い通りには入る。これが八幡通りで、大宮八幡宮への参道。  前方に大きな鳥居が見えるが、その手前中間あたり左に背の高い松がある。その昔、源義家が奥州遠征の折、この松の枝に馬の鞍を掛けたところから「鞍掛けの松」と呼ばれるようになった松で、「江戸名所図会」にも紹介されている名所。勿論松そのものは何代も代替わりしているものと思われる。  

大宮八幡宮
 八幡宮の額が掛かる赤い大きな鳥居を潜ると広い境内に入る。  秩父神社、大宮の氷川神社と共に武蔵野の三大宮といわれている。社伝によれば、前九年の役で奥州征伐に向った源頼義がこの地に差し掛かったところ、白雲が八つ旗のようにたなびく瑞祥を見て、八幡大神の霊威を感じ勝利を得たという。この報賽のため、康平6年(1063)に京都石清水八幡宮より分霊を勧請して建立したという。
 祭神は、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇。神門を入ったところにある銀杏の雄株は目通り3.6m。杉並区一の巨木。

大宮遺跡
 社殿の前を北側へ出たところが大宮遺跡。弥生時代末期のものとされる、周囲を溝で囲んだ「方形周溝墓」が発掘されたところ。土器や勾玉、ガラス玉などが見つかっており、ここが族長などの墓域、祭祀遺跡だったと見られている。聖域ゆえに後に大宮神社が建てられたと思われる。善福寺川を挟んで対岸の高台には竪穴式住居跡が発見されており、そちらが居住区であったようだ。

善福寺川
 大宮遺跡から崖下に下り対岸に渡る。同じ杉並区の善福寺池に湧き出す水を水源とする善福寺川は、地下鉄中野検車区のところで神田川に合流するまで凡そ10kmほど住宅街を流れる。その中で、この辺りが善福寺川緑地、和田掘公園として整備されている。  左にグランドなど見ながら左岸を下流に向う。  

杉並区立郷土博物館
 大宮橋で右岸に渡り少し行き、壁打ちテニスコートの横を右へ入ると博物館。平成元年に旧嵯峨侯爵邸の跡地に開館したもの。「武蔵野台地と水と人のくらし」をテーマに、旧石器時代から現在に至る杉並区の通史を、松ノ木遺跡、大宮遺跡からの出土松ノ木遺跡、大宮遺跡からの出土品や各種古文書、井伏鱒二の「荻窪風土記」などで紹介している。  

旧篠崎家住宅
 博物館の正門は大宮前新田を開発した名主井口家の長屋門を移築している。また、本館奥の庭には下井草にあった篠崎家の住宅が移築展示されている。これは江戸時代寛政年間(1789〜1800年)頃の建物と推定され、昭和48年に杉並区に寄贈された。もとは茅葺だったが、今は防火上銅版葺になっている。

コブシ
 博物館を出て、元の善福寺川の道を戻る。
 岸辺には桜を中心に、他にもさまざまな木が植えられている。柳が芽吹き、真っ青な空にコブシの純白が映えていた。  

和田掘公園
 善福寺川をはさみ、大宮八幡宮の対岸に広がる公園。サクラをはじめ、アカマツ、ケヤキ、コナラなど針葉樹湯広葉樹が茂り、その間に野球場や芝生広場、釣堀などがあり、都民の憩いの場となっている。  

カイツブリ
 園内の中央にある和田掘池にいたカイツブリ。カワセミやカモなども遊ぶ。

松ノ木遺跡
 和田掘池の北側台地上、野球場のバックネット裏に、竪穴住居跡と再現された住居がある。この辺り、縄文時代から古墳時代までの複合集落遺跡で、土器なども多数発掘されている。再現された住居ではガラス窓越しに内部の様子が見られ、音声案内で当時のくらしの様子が伺える。  

杉並児童交通公園
 元の善福寺川に戻り、大成橋で右岸に渡り上流に向って進む。  やがて左手に杉並区児童交通公園が現われる。横断歩道には信号も本物。子供用の自転車やゴーカートに乗り、遊びながら交通ルールを学べるようになっている。最近、横断歩道などでは子供の方がルールに忠実のように見受けられる。  

 さらに上流に進む。両岸の桜並木も満開になると素晴らしいだろう。   

善福寺川緑地
 神通橋のところで善福寺川緑地は終わる。神通橋を渡り、折り返して今度は左岸を戻る。緑地内のわんぱく広場には遊具もあり、子供をのびのび遊ばせることも出来る。  

 咲き始めた桜の下では、早くも花の宴が繰り広げられていた。川沿いでは、ウォーキング、ジョギング、サイクリングと、様々なスタイルで楽しんでいる。

熊野神社
 善福寺川を屋倉橋まで戻ってきて時間があれば熊野神社に寄って行こう。屋倉橋で右岸に渡り、緩やかな坂を登っていく。二つ目の通りを左に行くと熊野神社の鳥居が見える。
 鎌倉時代に紀州の熊野神社から勧請して建てられたと伝えられている。社殿の前に熊野神社のご神木となっている大きなクロマツが聳えている。樹齢400年以上、目通り3.27m、樹高32m。環境の変化で、クロマツは都内でも年々少なくなっており、昭和62年に杉並区の天然記念物に指定されている。    

 熊野神社を出て左へ、すぐに左へ道なりに緩く下って行くと再び善福寺川に出る。天王橋で川を渡り、杉並高校を左に見て真直ぐ北へ向う。住宅地の中の道を行くと青梅街道に出る。右へ行くと地下鉄阿佐ヶ谷駅。ここから青梅街道を渡り中杉通りを北へ向うとJR阿佐ヶ谷駅。  

パールセンター
 中杉通りの中間点あたりから1本東の通りに入るとアーケードのある商店街のパールセンターが駅まで続く。
 ここで行われる七夕まつりは、50年余りの歴史を持ち、笹飾りや張りぼて飾りが盛大に飾られ、大勢の人で賑わって、今や東京名物となっている。  

JR阿佐ヶ谷駅
 パールセンターを出たところが阿佐ヶ谷駅。  新宿へは快速で12分。東京へは25分。  


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