里山歩き


吉野梅郷から吉川英冶記念館へ


2012.3.25歩く

コ ー ス  徒歩約1時間3分
日向和田駅駅(15分)青梅市梅の公園東口・中央口(2分)天沢寺(3分)青梅着物博物館(3分)中道梅園(10分)岩割の梅(5分)大聖院(5分)即清寺(5分)吉川英冶記念館(15分)二俣尾駅

 日向和田から二俣尾にかけて、多摩川の南西岸から山裾までの一帯は吉野梅郷と呼ばれ、およそ25,000本の果実用の梅が栽培されており、関東一の梅の名所として知られている。
 梅郷内には、数々の梅の古木をはじめ、戦時中移り住んだ吉川英治の旧居をそのまま利用した記念館や、きもの博物館、即清寺、大聖寺などの古寺が点在している。早春の一日、観梅を兼ねてそれらの施設を訪ねてみるのはいかがだろう。
 



JR日向和田駅
 最寄り駅、日向和田駅へは、東京駅から中央線快速で立川までおよそ1時間。途中新宿からだと40分。ここから青梅線に乗り換えて40分ほどで日向和田駅に着く。時間によっては青梅まで直通があり、青梅で乗り継ぐことになる。
 

神代橋
 駅改札を出たすぐ前の通りが青梅街道。これを右へ奥多摩方面に進み、最初の信号で青梅街道を横断して、多摩川に架かる神代橋を渡る。  

吉野峡
 橋から見下ろす流れは吉野峡と呼ばれている。上流にある鳩ノ巣渓谷、御岳渓谷の急な流れに較べて、ここは川幅が広くなっているためか、流れも比較的ゆったりしている。だが両岸の断崖は迫力がある。

 橋を渡ると梅並木が続く。飲食店やみやげ物店の並ぶ通りを進み、梅郷4丁目の交差点で吉野街道を渡る。ここから細くなった道を行き、突き当りを左へ。次の十字路を右へ行けば梅の公園の中央口だが、次の行程の事を考え、ここは真直ぐ行き、東口から入ることにする。

鎌倉街道
 標識に従って進むとやがて梅の公園の東口に着く。その手前左手に鎌倉街道の入口がある。
 この鎌倉街道は、上州から秩父盆地を経て、鎌倉に通じていた道で、当地へは飯能から小沢峠、榎峠を越え、多摩川を渡ってここに着き、この先竹林の中を通って梅ヶ谷峠を越えて日の出町に出ていたという。

青梅市梅の公園
 多摩川西岸の山麓斜面に広がる、青梅市が管理する梅の公園。約120種、1500本の梅が植えられていて、訪れる観梅客の目を楽しませている。
 今年は春の訪れが遅く、開花も遅れているようだ。毎年開花に合わせて「梅まつり」が開催されるが、今年も2月18日から3月28日まで開催されたものの、花は一部しか咲いていなかった。
 この日も、早く咲き始めたという東口で七分咲き、他は一〜二分咲きといったところだろうか。このため梅まつりは4月8日(日)まで延長されたようだ。
 なお、この公園は梅の開花期は1人200円の入園料がいるが、他の季節は無料開放されている。

紅梅と白梅
 梅の種類が多く、開花時期も異なるので、長い期間楽しめる。

 吉野梅郷は、ここ梅の公園を中心に、多摩川の右岸の山麓約4kmに亘って広がり、約25,000本の梅の木が栽培されている。梅は実梅生産用が主で、「白加賀」「小向」が多いという。

 園内の見晴らしの良いところ4箇所にあずまやがあり、散策路が巡っている。
 この辺りはまだチラホラ。満開になれば見事な眺めになるだろう。

 

 園内には梅の他にも蝋梅、躑躅、紫陽花、萩などが植えられていて、四季を通じて楽しめる。

福寿草
 園内や、近くのオープンガーデンなど、いたるところで福寿草が満開だった。他にはカタクリ、フキノトウなど。

天沢院
 梅の公園を出てすぐ先左にある。梅林山天沢院といい、慶長8年(1603)の開創と伝えている。本尊は釈迦如来。
 境内はさほど広くはないが、梅をはじめ、サンシュユや季節の草花が植えられており、四季折々楽しめる。

青梅きもの博物館
 日本の伝統文化である着物専門の博物館。元皇族を始め、武家や商家の着用していた着物500点あまりを収蔵し、3ヶ月ごとに内容を替え展示している。  

鎌倉の梅
 吉野梅郷にはオープンガーデンがある。個人所有の庭を無料開放し、そこに咲く梅や草花を訪れる人に自由に楽しんでもらおうとの趣旨で行われているもので、現在6箇所ある。
 ここはその一つの梅花園。園内にある「鎌倉の梅」は、樹齢400年という古木。旧鎌倉街道沿いにあるところからこの名がつけられた。梅のほか、ミツマタ、サンシュユ、フクジュソウなどが咲いていた。

中道梅園
 梅花園の先(隣)が中道梅園。梅園は広く、茶店やトイレの設備もあるのでお弁当を広げるのに良い。
 観梅通りはここから左に折れて進む。やがて左に下山八幡神社が見えてくる。

下山八幡神社
   長久2年(1041)の創建と伝える古社で、祭神は、応神天皇、仁徳天皇、安閑天皇。
 旧本殿は、寛保2年(1742)の大風で倒壊したため、宝暦5年(1755)に再建されたのが現本殿。
 本殿は三間社流造りの形式で、東京都内では数少なく、青梅市の有形文化財に指定されている。

岩割の梅
 下山八幡神社の先の四辻で道を左にとるとすぐ左手に「岩割の梅」がある。ここもオープンガーデンの一つ。庭園内には二つに割れた岩の間から梅の古木が生えている。この梅には次のような話が伝わっている。
 昔、土地の豪族三田氏が小田原の北条氏と戦ったとき、若武者と土地の娘が恋に陥り、ここを密かな逢瀬の場所として楽しんでいたという。そしていざ出陣となったとき、思い出の場所として若武者が一枝の梅をこの岩に突き刺していったところ、この岩を割ってすくすくと育ちこのようになったという。

大聖院
 岩割れの梅から観梅通りをさらに先に進む。このあたり元は梅林だったのだろうか。新しい住宅地のなかを行き、次の辻を右へ折れて吉野街道に出る。
 吉野街道はこの先で二手に分かれるが(すぐ先で一緒になる)、そのすぐ手前で道路を渡って右に入ると左にお寺がある。
 梅香山大聖院といい、真言宗のお寺。本尊は不動明王。本堂裏にあるのが「親木の梅」。青梅の名の由来となった金剛寺にある将門誓いの梅から分かれたもの。吉野梅郷の梅の親木(元祖)と言われている。樹齢700年と言われる親木は倒木し、現在はそれから根分けした2代目が育っている。  

即清寺
 大聖院を出て、元の吉野街道を渡り、二手に分かれる道の左の道を入る。
 すぐ先左に即清寺がある。正式名は愛宕山明王院即清寺で、真言宗豊山派のお寺。元慶年間(877〜884年)の開創と伝える。本尊は不空羂索大忿怒明王。建久年間(1190〜1199年)に畠山重忠が、源頼朝の命を受けて造営したといい、寺名は重忠の法名勇賛即清居士に由来する。
 石段を上がり、立派な仁王門を入ると右手に鐘楼、その奥に本堂が建つ。境内はきれいに掃き清められており、高台にあるため多摩川沿いの町並みも見下ろせて、清々しい気持ちになる。寺域は市の史跡に指定されている。  

吉川英冶記念館
 ふたたび吉野街道に合流して先に進むと左側に吉川英冶記念館がある。
 吉川英冶は、昭和19年3月、それまで住んでいた都心の赤坂区(現港区)の住居を引き払い、当地に購入してあった古い養蚕農家の家屋に移り住んだ。
 終戦と同時に筆を絶つが、2年後に執筆活動を再開。昭和25年、週刊朝日に「新・平家物語」の連載を開始する。そして昭和28年8月に北品川に移るまでの9年5ヶ月を当地で暮した。
 母屋に併設された洋館の書斎は、机・文具など当時の姿のまま保存・展示されている。

 母屋の裏手にある展示室には、吉川英寺の作品、原稿、書画などが展示されている。
 展示館前の椎の木は樹齢5・600年といわれる巨樹。庭園ではカタクリや蕗の薹が咲いていた。  

奥多摩橋
 吉川英冶記念館を出て吉野街道をさらに進むと奥多摩橋南詰の信号がある。ここを右へ行くと多摩川に架かる奥多摩橋。
 ここは、古くに「竹の下の渡し」があったところで、昭和14年3月に、地元民の積み立てと都の出資により架けられたもの。
 水面からの高さ33m、橋長176m、雄大なアーチ橋で、戦前の道路用鋼アーチ橋としては最大のもの。その優美さもあって、平成21年11月に、土木学会から推奨土木遺産として選定された。

 橋を渡りきって左へゆるやかに上って行くと二俣尾の駅。ここから立川に出る。  




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